隣屋『オイディプス/コロノスのオイディプス』の感想メモ
こまばアゴラ劇場で体験した隣屋『オイディプス/コロノスのオイディプス』の感想メモ。二日をかけて両方とも観劇。順番としては6月6日マチネで『コロノスのオイディブス』6月7日ソワレで『オイディプス』、本来の順番からすると逆なのかもしれないけれど、日程の関係でやむおえず。
入場時に検温消毒、そのあと密にならないように数人単位で観劇の仕方や注意事項などの簡単な説明を受けて、作品の解説や場内の見取り図が書かれた当日パンフレットなどを渡されて、荷物を預けて、クッションを一枚抱きしめて会場へと入る。荷物のタグが使い捨ての紙製で、自分で持ち手などにひっかけて、番号札だけを切り取るセルフシステムで、あちらこちらの劇場ですでに利用されているのかもしれないけれど私には初めての体験。特に回遊型を謳っているパフォーマンスだけに、観る側にも多分作り手にも防疫の負荷が少なく観客を身軽にしてくれる仕組みはスマートで助かる。
どちらの作品とも通常の劇場空間と2階、3階のエレベーター前というか通常の舞台袖的な部分が使われていて、入場すると空間の中央の舞台がまず目に入る。劇場空間の三方には、モニターが配され、2階のエレベーター前にもモニターが横たわり、3階にもスマホサイズの画面とi-patサイズの画面が設置されている。会場の図面をみると、それぞれの画面が担うキャラクターや場所が示されていて。その中を自由に歩き回って、あるいは座ってご覧下さいという趣向。
まずはクッションを敷いて座って当日パンフレットで物語の概要を確認する(一応Webでも予習はしていったけれど)。それからぐるりと会場全体を見まわして、図面と照らし合わせながら、モニターたちの前へと足を運ぶ。最初そこには景色が映し出され、登場人物のだれそれが見た風景であるとのコメントが流れる。そして、すべてを観ることはできないとも。ぐるりと一巡して、3階は少々込み合っているようなので後回しにして。
そのうちに、モニターから言葉が流れはじめ、人物の身体の一部も映し出される。最初はどちらかというと漠然とそれらを見ていた。遠くから見たり、座ってみたり、二つのスクリーンの中間に立ってその両方の言葉に耳を欹てたり、顔や体の一部が映されていることに意味を求めたり。やがてそれらの一つずつを注意深く聴くようになると、其々のモニターが戯曲に織り込まれた登場人物の立場や想いの集約というか核心が切り出しているようにも思う。作り手が戯曲から精錬した人物たちが担うものをそのセリフたちに乗せてを紡ぎだしているようにも感じられる。
暫らく徘徊して、先の人がおりてきたのを見計らって3階へ。そこに語られていることや映像を見る。神託。そして2階に降りるエレベータを待つ間、3階のバルコニーから劇場空間を眺める。そこは神の場所、風景がふっと丘の上の神殿からというか、劇場空間に描かれた登場人物たちを淡々と俯瞰する神の視座からのものに思えて。2階のモニターから流れ続ける声も聞こえ、2階のモニターに描かれたものの記憶も残っていて、背中からは神託が聞こえる。それが作り手の作意どおりなのか確信は持てないけれど、なんだろ、その重なりに、空間全体の定義というか描かれているものに対してのフォーカスが定まる。二枚並んだ3D写真を裸眼で眺めていてそれが重なるまでの苛立ちを経て突然立体視に至ったような感覚が降りてきて立ちすくむ。空間には登場人物たちの想いがあり、袖には神や民衆が袖に配され、登場人物の想いが描かれ、その中にあるオイディプスの場が供される。これまで読んでも、舞台で演じられても、難解で実感がわかず自分のアホさを嘆いていたいわゆるギリシャ悲劇の世界の片鱗が、客席でもあり舞台舞台でもある空間を闊歩することを許されて受け取った体感として入ってくる。それが異文化の物語であることには変わりがないのだけれど、異文化の鎧の外側から描かれるものを眺めるのではなく、物語と同じ空間座標に自らがあることで、描かれる世界が概念に留め置かれずより体感として訪れる。
回遊型演劇恐るべし。
どちらの作品でもそうして場の空気がその世界に染められた先に俳優が演ずるオイディプス王が登場する。それぞれの衣装に歌舞伎的な外連のようなものや寓意を感じつつ、でも、始まる前に読んでいた筋書きにも裏打ちされ、時に王は自らにも観る側にも問いかけているように演じられていて、空間は物語と観客の隔たりを失い、リアルな時間となり、舞台上の所作や台詞が居場所を持ち、言葉や想いが台詞から踏み出して伝わってくる。本当に理解できているかどうかはわからないけれど、その意味を想像し感覚となし受け取ることができる。とても曖昧でべたな言い方だけれど、基準値を満たす理解にまで至っていなかったのかもしれないけれど、面白かった。少なくともその刹那に舞台で俳優が描く想いを、よそ事とせず違和感なく受け取り引き込まれていた。。
本当は順番に観た方がより両方の世界をその場で理解できたのだろうとは思う。『コロノスのオイディプス王』では差し入れられる青の意味がよくわからず、『オイディプス王』を観て腑に落ちたりもした。でも、そうであっても、作品それぞれの世界に加えて顛末としての膨らみを感じることができて、両方の作品を観ることができてよかった。
少しではあるけれどこれまでのギリシャ悲劇アレルギーも解けた気がする。作り手に感謝。
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隣屋『オイディプス』『コロノスのオイディプス』
翻案・演出:三浦雨林(隣屋/青年団)
原作:ソポクレス『オイディプス』『コロノスのオイディプス』『アンティゴネー』(Storr Francis 訳 “Oedipus the King” “Oedipus at Colonus” “Antigone”より日本語台本に構成)
2021年6月3日[木] - 6月8日[火]@こまばアゴラ劇場
出演:
『オイディプス』
永瀬泰生(隣屋)、
映像出演:川隅奈保子(青年団)、矢部祥太、
松橋和也(青年団)、宮本悠加
『コロノスのオイディプス』
杉山賢(隣屋)
映像出演:矢部祥太、林ちゑ(青年団)、日和下駄(円盤に乗る派)、
吉田卓央、松橋和也(青年団)、宮本悠加
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