日記の役割
下北沢で日記だけを取り扱っている、素敵なコンセプトの本屋さんを発見した。日記は自分以外の人たちがどんなことを考え、何をみて、何を感じているのかを知ることができる貴重で興味深い書物だと思っている。
日記以外でも、詩やエッセイや論文ももちろんそうなのだけど、日記は本来誰かに向けて書くものではないからなのか、より個人的な文章で飾らない感じなのが好きだ。
その分、その人の世界観や感情、考えに引きずられるし、その人の核に触れるような部分があると、読むのにとてつもないエネルギーを要するのだけど。(人の考えていることを知りたいと思うくせに、人の核の一部に触れるのは怖い。それは自分の中でここまでは踏み込まれてもいいけれど、これ以上は無理!な境界線がやんわり決まっていて、核に触れることはその境界線を跨ぐことだと思っているのもあるかもしれない。)
自分も大学1年の終わり頃から今までの約6年間、毎日ではないけれど日記を書いている。少ない日で500字程度、多い日で2000字程度。
最初の目的は自分を客観的に見ることと、見たものや読んだ本、自分の感動したことをなるべく言語化して覚えておくためだったのが、学生の途中で忘れたくない思い出や自分に投げかけられた言葉で印象的だったものを記録するためのものになり、社会人になってからは自分を保つことと、感情が鈍化していくのに抗うためのものになりつつある。ちなみに内容はまあまあド鬱で3月の書き出しは
「なんとなく引っかかって残っている人から言われた言葉に
後ろから殴りかかられるときがある。」
である。
日記は環境や自分の置かれている状況によって役割が全然変わってくるのだな、という事に最近気がついた。
たまに、日記をつけているという話を友人にすると、読み返すことあるの?恥ずかしくて読み返せないから日記をつけられない、という話になることがある。私は日記を始める時そんなこと考えもしなかった(正直こんなに続くと思ってなくて後先考えてなかった)んだけど、確かに、始めたばっかの時とか考え方が若々しくて(笑)耐え難く恥ずかしいこともある。
でも、読み返して恥ずかしいと思えるのなら、それは自分が成長してる証なんじゃないかと信じて、今日も日記に向かう。