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「ある」とも「ない」ともいえないもの

精神世界と出会い自己探求を始めて21年、チャネリング、サイキック、エネルギーワーク、ヒーリングの世界に迷い込み早16年が経とうとしています。

私は非常に現実的で自分にとって確かなものを大事にしてきたので、正直、自分がサイキック、エネルギーワークを学ぶことに戸惑いと抵抗がずっとぬぐいきれずも、なぜかそこに行かないではいられないという16年でした。

そんな中、つい最近、これらのことが、「ある」とも「ない」ともいえないものである、というのが自分の中の結論であり、わかりかけたと思っていた自分が何もわかっていなかったということと、訳の分からないこの世界とに降参した瞬間を迎えました。

その中で、ただ「わたし」がいることが唯一確かな拠り所となって、無知のわたしでいることはとても心地良いものでした。とても謙虚で子供のように無垢でいることができる・・・。

「ある」とも「ない」ともいえないもの。それは、実は見えない世界だけでなく、今見えている(認知している)世界自体にも当てはまるものだなぁと思いました。見えない世界の方が、この結論を受け容れやすく、認知できるものは自分の中の事実として揺らぎにくいから、この結論が当てはまることに気づきにくいけれど。でも、心も身体(物質)も移り変わる。実体がなく、つまり本質ではない。このことが自然と腑に落ちたのでした。

ある意味、見える世界と見えない世界とを同列に見ることができた瞬間といえるのかもしれません。

そうして今、無知な私は以前よりももっとこだわりがなく、見えるものも見えないものも直観的に必要と判断すれば選んでいくことができるようになりました。きわめて執着なく。

大事なのはストーリーを紡いでいる愛の流れであり、求められているのはただひたすらに信頼なのだろうと感じています。



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