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これまでの歩み

過去を今に集約させるために、自己紹介も兼ねてこれまでの歩みをまとめてみました。長文となりますが、お付き合いいただけましたら嬉しいです。

~幼少期~
耶衣という名は、父なる神の愛に包まれていますように、との願いを込めてつけてくれたそうです。なんともありがたい名前を授かった私は、漠然と「神」という大いなる存在を意識し、眠る前は祈りを捧げる幼少期を過ごていました。

しゃべり始めるのが遅く、しゃべり始めてからも理由も言わず泣き出すことがしばしばで、親を困らせていたようです。言葉を介さなくとも相手の状態(考えや感情)がある程度分かったため、言葉の必要性を特に感じていなかったのかもしれません。けれども、言語を介さなければ相手にはこちらのことが必ずしも伝わらないため、言葉を介したコミュニケーションというのが自分にとっての1つのテーマになっていきました。

その頃は「わたし」といっているこの「わたし」は誰だろうと思っては、不思議な気持ちになったり、大切に育てられたにも関わらず不可解なほどの退屈と孤独を感じていました。
そのうちそんなことを考えることはなくなり、「わたし」に馴染んでいきました。

~10代の頃~
「わたし」に馴染むと、両親の期待に応えることに尽力し始めました。それが本来の自分の願いや求めるものとは異なっていても。一旦期待に応えた後に、自分の真実(両親の期待に応えることでは見出せない喜び)を見出すことで、家族と共に囚われから解放されていくというプロセスに、その後非常に長い年月をかけて取り組んでいきました。

~わが師との出会い~
大学受験を控え上京した冬、今も敬愛する師、岩城和平氏と出会います。師の存在自体に自分のあるべき状態、求めている答えがそこにあることを無意識に感じ取りました。全てがどうでもよくなるような、微笑みの中に消えていくような、安心感をもたらしてくれる、そんな存在感でした。当時はそれを認識することができませんでしたが、自己探求へと向かう道のりはこの日から始まったように思います。

~大学進学・自我の崩壊~
大学進学と共に親元を離れると、心身のバランスを崩し始めました。初めての自我の崩壊を迎えたのでした。周りの期待に応えたいという強い気持ちとは裏腹に、頑張ることや、努力することが殆どできなくなりました。「時よ止まれ!」と念じながらベッドにうずくまる日々。摂食障害、失恋、留年、デートDV、軟禁等、自尊心がひどく傷つき、また同時に人を傷つけるという経験を重ね、抜き差しならないところまで堕ちていきました。そんなある日、受け容れがたい程に惨めな状態で人生が終わるかもしれない出来事が起こりました。メディアで報道されるような事件とは無縁だと信じ切っていた自分が、犯罪者又は被害者になっていてもおかしくなかったことを知ったのです。”惨め”な自分を認めたとき、自分だと思っていた殻が壊れ、力が抜けたような、肩の荷が降りたような感覚と、一連の経験に対する感謝とが不思議なことに自然と湧いてきました。

その後、驚くべき展開で、一日にして軟禁状態から解放されて家族の元で療養することになります。この一連の事件により、目に映るこの世界が当たり前でないという事実が非常にリアルなものとなり、いつ肉体の死を迎えても、自分自身と愛する人たちが後悔しないよう、絶対的な幸せの実現を堅く決意したのでした。

これらの経験は今となっては、欲張りとさえ思える程に宝物です。こうして自分が真に求めているものへと近づいていったことがわかるからです。

~就職・精神世界やエネルギーワークとの出会い~
留年した挙句、遅れていた就活を再開し、ここでダメなら故郷へ戻る覚悟で応募した特許事務所から内定をいただき、翻訳者として働き始めました。
働きながら、かつて出会った師の講話に時々参加しながらも、その教えがあまりにも超然としているため、真に理解するためには感覚や感性を磨く必要があると感じていました。そんな中、ヘミシンク、レイキやヒーリング等のエネルギーワーク、呼吸法、レインドロップ、空性について、気の向くままスクールやWSに足を運んでいました。また、この頃、知人に誘われて教会にも通った時期でもありました。新約聖書からキリストに触れ、教会では祈りの癒しを実感したものの、人の集まりに馴染めず教会から足は遠のいていきました。

レイキやシータヒーリングを学んだ後、2008年、あるリーブストレーナーさんと出会い、サイキックプロテクション、サイキックヒーリングの講習を受けたのがLeaves Instituteとのご縁の始まりでした。数々のエネルギーワークを学んだり受けながらも、これが答えではないという感覚がいつも付きまとい、依然として彷徨っていました。2010年には、SuperLifeGallery主催のZEROPOINTスクールに通い、空性についても学びを深めました。

~兄の死~
2012年オーセンティックムーブメントセラピーや、創造療法を学んでみたいと思い始めていました。自らの霊的成長には、肉体へのアプローチが重要だと直観的にわかっていたのかもしれません。
またこの頃、身内、特に兄に、ヒーリングを行っていました。当時の私の偏った見方では、兄は暮らしが豊かでなく生きるのに苦労していると思っていました。そんな兄を見て、よくヒーリングを行っていたのです。しかし、私が期待したような変化、つまり、金銭面で楽になることはありませんでした。
最後に兄と言葉を交わしたのは2012年のGW。後に夫となるパートナーを家族に紹介するために帰省し、また東京に戻る日、仕事で疲れ果て横になっていた兄に、顔を見ることなく告げた「じゃあ、またね」でした。
その約3週間後、喘息の重責発作で危篤となり、意識が戻らないまま2週間が経ち、私が病院に着いた日の夜、息を引き取りました。絶望と喪失感と哀しみと怒りとが渦巻いて、まるで胸がえぐり取られたような感覚でした。抑えきれず崩れ落ちるようにわたしという存在の全てで泣いたのは初めてのことでした。そして何よりも自分を傷つけたのは、兄の人生を不憫に思っていた自分自身でした。兄の死の意味も、晩年に向かいより強くなっていった兄の魂の輝きも、その後11年経ってやっと気づくことができたのでした。

~エネルギーワークと距離をとる~
兄の死から私は、ヒーリングやエネルギーワークや自己の願望成就から一定の距離をとるようになりました。自分がこれらを求めた動機を見つめ、自分の在り方、状態の観察等、自分自身の内側へとより意識が向かっていきました。しかしながら、依然として自分の居場所を求め彷徨っていました。

~結婚・出産~
職場での多忙を極め、いよいよ転職活動を始めた矢先、妊娠が発覚し、結婚することになり、職場にもとどまることになりました。産後は、仕事と家事・育児とのバランスを上手くとることができず、精神的にも肉体的にも辛い日々を送っていました。

~再びエネルギーワークの世界へ~
精神的にも肉体的にも辛い中で、しばらく遠ざかっていたヒーリング・覚醒ワーク・ライトワーク等のイベントに再び参加し始めました。
ほぼ無意識に、直感に従って手当たり次第受けていたという感じです。辛いけれど、どうすればいいのか分からない程に心も身体も忙しなく自分の状態を省みることなど殆どできない日々でしたが、とにかく現状打破したい一心だったように思います。数多くのワークを受けた後、第2子を授かりました。

~第2子妊娠・出産~
第2子を授かったとき、次は絶対に助産院で生みたいと思った私は、バースハーモニー美しが丘助産院と出会います。この助産院が推奨していたマクロビ食をきっかけに、陰陽五行の思想に触れます。また、この時里山の農学校に子供たちを連れて通ったり、サステイナブルな在り方や「育む」という母性に対する意識が高まりました。

~コロナ禍と転機ーセラピストへ~
職場復帰後は、部署を異動し比較的自分のペースで仕事をすることができましたが、1年が経とうとする頃にコロナ禍により在宅ワークが始まりました。その後、6か月が経とうとする2020年8月、職場を離れる時がきたことを悟り、上司に退職を告げるとほぼ同時に、流れるように2020年Leaves Instituteのオンラインスクールにて創造療法ディプロマコースの受講を決意していました。

2020年9月~2021年6月の創造療法ディプロマコースを修了、引き続き2021年9月~2022年6月のやヒーリングディプロマコースを修了しました。

Leaves Instituteオンラインスクールにおける2年間の学びは、とても濃く深く、意識が拡大していくことを実感し、自己受容を体験により知ることができました。また、自分の中の何者にも侵されない本質的な部分に触れ、自我の持つ囚われ、偏った見方や解釈などに気づく感性が養われていきました。共に学ぶ方々や学びをサポートしてくださる方々との出会いにも恵まれ、目まぐるしくも非常に充実した日々でした。

オンラインスクール卒業後は、無償又は有償でセッションを提供させていただく機会を何度となくいただき、スーパーバイザーの指導も賜りながら更なる学びを深めてきました。

2021年8月頃より、岩城和平氏からの教えを再び積極的に受け始め、現在に至ります。

何気ないありふれた日常から学び成長し続けている喜びを感じる今日この頃です。

~終わりなき学び~
こうして振り返ると、もがきながら、あがきながら、泥臭く必死で生きてきた自分と、そんな自分が、今も必死で生きている自分を支えてくれているような気持ちになります。癒しも学びも終わりはなく、成長、進化はこの宇宙の必然であり、私は変わり続けるだろう、というのが今の結論です。

しかし、変わり続ける自分の中に、今も昔も変わらない何かがある、とどこかで知っているような気がします。それは全ての人が何の努力もなく、平等に与えられている何かでもあるような気がするのです。そして私の求めた答えは成長でも進化でもなく、そこにあるような気がしています。

~セラピストという仕事~
現在セラピストとして活動している私ですが、いつも実感することは何もできない自分、何もわからない(無知な)自分です。ご縁あってその場を共有した方と、ただ、共に感じ、寄り添い、希望をもち、実在を見出し、その場に居させてもらうだけなのです。そしてそれでいいのだと今は納得していますし、いつまでもそうありますように、と望んでいます。

そんな風に何もかもを手放してクライアント様と向かいあうことで初めて、創造という流れを目の当たりにし、クライアント様と共に享受するのだろうと思います。

私が捉える『創造』、それはいのちの躍動であり、全体の流れであり、作為のないあるがまま。そして一旦創造の流れに触れたなら、自らゆくべき道を見出し、前に進みだす。問題などなかったことを知る。セラピストは、そんな奇跡的でたまらなく感動的な瞬間の立会人とならせていただくありがたいお仕事だと思っています。

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