加持ミサに偏ってシン・エヴァンゲリオン劇場版:||を語る
※この記事には公開中のシン・エヴァンゲリオン劇場のネタバレを含みます※
なぜ脇役には魅力があるのか
わたしは昔から主人公ではなく主人公の友人や親などのいわゆる脇を固める人物に惹かれる。メインストーリーよりサイドストーリーに魅力を感じるタチである。
24でいえばジャック・バウアーよりトニー・アルメイダ、もう少し有名どころで言えばハリーポッターでいうところのハリーよりもそして分霊箱よりもロンとハーマイオニー、そしてその2人の人間模様。そんな私がエヴァの中で惹かれたのが、なんといっても葛木ミサトそして加持リョウジ、カップリングでいえば加持ミサ、そしてリツコを含めた大人チームである。
わたしはそこまでアニメにも詳しくないし、ロボットが好きなわけでもない。でも、そんな私がエヴァを最後まで見届けることができたのは、紛れもなくこの大人チームの人間模様を見届けたいと言う思いがあったからだと思う。
主人公のストーリーを引き立たせる名脇役、そして名サイドストーリーがなぜここまで魅力的なのか、それは「メインストーリーだけでなくこっちも充実させちゃいますよ、それによってメインをさらに美味しくしちゃいますよ」という製作陣の余裕、そして作品に対する強く深い愛を感じるからなのではないかと私は考えている。
この記事では、葛木ミサト、加持リョウジ、すなわち加持ミサに絞って、加持ミサに魅了され続けた私が、シン・エヴァンゲリオン劇場版の感想を思いのままに書き綴って行く。
シンエヴァを見るまでの私の不満
ミサトといえば、旧版ではとにかく仕事のできるお姉さんだが、家だとそれが嘘のように酒まみれゴミだらけ、中学生にご飯の支度をさせるという大人の女性としては欠如している面があるものの、「大人のキス」で全てを持っていってしまったまさに主人公を魅了する大人の女だった。
(冷静に見返すと多少この頃から発言の矛盾は認められていて、動画サイトではネタにされているが。)
それが、新劇になると"破"「あなた自身の願いのために!」からの"Q"「あなたはもう何もしないで」の矛盾が大きく取り沙汰され、新劇"破"の再放送となれば、そのセリフののちに「言ったな?」、「お前その発言覚えとけよ」などの罵声が度々Twitterには溢れかえり、ミサト贔屓のわたしはその度心を痛めていた。(面白いからわざと検索はするけど)
ミサトに関してはそんな扱いを受けるわ、加持は"破"において(というか破にしか出てないし)子どもたちを水族館に連れて行く引率のお兄さん程度で、お茶の間を凍りつかせたと言う伝説の濡れ場は丸々カット、加持ミサエピソードは居酒屋シーンのみ(その後に飲み過ぎだぞからの裸足で歩くシーンを期待したがもちろんなし)、"Q"に至っては、ミサトは上記の失言、加持はまさかの生死不明、リツコはなぜか断髪でベリーショートといった具合に大人チームは不遇な扱いを受けていたと言われても致し方ないのではないかと思っていた。(ベリショ派の皆様ごめんなさい)
なぜあの日葛木ミサトはDSSチョーカーを発動できなかったのか
そんな不満はさておき、"破"のクライマックスで紛れもなくシンジはサードインパクトのトリガーとなったわけだが、そのシンジを保護観察下に置いていながら、"Q"序盤でネルフ側にシンジが奪われそうになった時、DSSチョーカーを発動できずに案の定ネルフ側にシンジは奪われてしまった。パスコードはミサトしか知らないのに。ミサトがやらなきゃ誰もできないのに。
そう言った点でいうと、シンエヴァのクライマックスあたりでピンクの子やサクラがミサトに対して怒りをあらわにしたのも仕方ない面はあると思う。なぜなら、その時点で見ているこちら側を含め、事情を知らないキャラクターたちはミサトがただ情に流されてシンジを殺すことができず、あっけなくネルフ側にシンジを奪われ、その結果フォースインパクトが起きかける事態を引き起こしたポンコツ艦長(シンエヴァの当該シーンでは意気揚々と戦いを挑むが、人であることを捨てたゲンドウに何もできず、もはや時すでに遅し状態で、「いい加減にしろよ」レベルの事態だったのではないかと)としか思えないからである。
正直なところ、ここでミサトがDSSチョーカーを発動させなかったことは、ミサトの人間らしさの表れであるとは分かっていながら(発動させたら物語が終わりだし)、ミサトの仕事に対する責任感を考えると、私の中で大きな疑問だった。
しかし、シンエヴァを見てその疑問は解決された。
それは、ミサトが母になっていたからなのだと。
せいぜい私の想像では、一時は一緒に住んでいた男の子が14年の時を経てやっと会えて、話すことができて、立場上抱きしめることも出来ないし、まあそんなところで情が生まれたんだろう、程度のものだった。確かにそれも間違いではないと思うし、結局大きな括りで言えば母になっていたからと言っても結局は情の話だが、私はミサトが母になっていたという設定が入ったことでDSSチョーカーを発動できなかったことに大きな意味を持たせたのではないかと思った。
愛していた男の子どもを身篭り、愛していた男が自分とその子ども、そして世界を救うために自らの命をかけていく姿を止めることも出来ず、一緒に行くことも出来ずにただ見送り、1人になって子どもを生んだ。でも世界は再び消滅する危機に瀕している。愛する男が命をかけて守ろうとした世界がまた壊されようとしている…。だからこそミサトは、自分の子である"加持リョウジ"に自分のことも父親である"加持リョウジ"のことを告げずに、愛する男が守ろうとした世界を次は自らが守りに行く道を選んだのではないか。
そして"Q"序盤、目の前には自分の「行きなさい!」の発言に後押しされ、結果的にニアサードインパクトを引き起こした少年。この少年がニアサードインパクトを引き起こさなければ、愛する男は死ななくてすんだかもしれない。でも、ミサトは少年を殺すことができない。それは何故か。
「あなた自身の願いのために」の言葉には、シンジがこの世界を救うことで、自分と加持とその子が一緒に平和に暮らせる世界を望んだミサトの願いが重ねられていたのではないかと思った。その結果、その言葉に後押しされたシンジがニアサードインパクトのトリガーになってしまった。ミサト自身が責任を感じていたのではないか。
そして何より、自分自身に14歳の息子がいる中で、目の前に(見た目)14歳の少年。しかもその少年には少なからず自分の中で思い入れがある。そんな状況下で、ミサトはシンジに息子のリョウジを重ねてしまったのではないかと私は感じた。
ネルフ時代の上司として、指揮官としての立場で関わっていたシンジに対して生まれた単純な情ではなく、14年間の中で得た母親として全般的な子ども:全てのチルドレンに対する情(≒愛情)が彼女の中で艦長としての自分を邪魔したのではないかとシンエヴァを見て強く思った。
なぜ彼は"加持リョウジ"だったのか
さて次に疑問に感じたのは、ミサトとリョウジの子…14歳の彼の名が何故"加持リョウジ"だったのかという点だ。
ここで私はエヴァンゲリオンが"親子"の物語でもあるということを思い出した。
シンジとゲンドウ、シンジとユイ、アスカとキョウコ、リツコとナオコ、そして、ミサトとヒデアキ。いくつもの親子が複雑に絡み合った物語がエヴァなのだ。
そんな中アニメ版でミサトは加持に対して、あなたに父親を重ねていたと懺悔する場面があった。映画版ではもっとわかりやすく"楽しいこと"をする場面もあった。きっとそれはミサトが父から受けきれなかった愛を加持から受けようとしたことの表れであると思う。
ミサトは"加持リョウジ"に"父"を重ね、その加持との子、すなわち自分の"息子"に"リョウジ"と名付けた。加持リョウジという人物と名前に3人の意味を持たせた。飛躍的な考えではあるが、ミサトは愛した男の名前を息子につけることで、その愛した男に重ねていた父のことも改めて許そうとしていたのではないかと感じた。
そしてミサトは息子が生きる世界を守るため、文字通り特攻しその役目を終えた。
シンエヴァの中でここまで絶命したことがわかりやすいのは冬月含め大人チームの特徴であったが、ミサトをわかりやすく絶命させたことで、"破"の時点で命を落としていた加持と同じ世界に行くことができたことを何事よりもわかりやすく示している。ミサトと加持の2人は、指揮官でもない、二重スパイでもない姿で、四半世紀過ぎたシンエヴァの世界でやっと安らぎの空間を手に入れたのかと思うと実に感慨深かった。
大人チームという点でもう一つ私が触れたいのは、ゲンドウに対して発砲したリツコだ。リツコはご存知の通り旧版でゲンドウに撃たれて絶命する。
そのリツコがシンエヴァの世界ではゲンドウに対して即死狙いで頭部を発砲した。実際は人であることを捨てたゲンドウにその行為は意味をなさなかったが、この経緯を知っていると、ここで発砲したのがミサトではなくリツコであることに大きな意味を感じ、全ての物語を見てきたファンへのご褒美にも感じられるシーンであった。
偏りのある見方でエヴァを語った感想
これまで特定のカップリングに偏って物語を見た経験自体がない私だったが、実際にある偏った面からエヴァを見てみた結果…
すごいおもしろい☆
(笑)
四半世紀の時を超えて完結したエヴァンゲリオン。これほど興味深く、なおかつ考察甲斐があり、映画を観た後でもなお楽しめる、そして何度見ても新しい発見ができる作品に出会えたことに感謝したい。
初めてのnoteで拙い文章だったとは思いますがここまでお付き合いいただいた皆様に感謝いたします。
※なお私は現時点で映画パンフレットを購入しておりません。すでに制作陣が公式に明確にしている点についても私自身が独自で解釈している点がある可能性がありますが、一ファンの考察として受け入れていただければと思います※
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