ー包み込むようにーインクルーシブデザイン
インクルーシブな社会
コロナ前の経済成長は世界的には資本主義が1つの潮流を作り、その中でも統合的な仕組みに陰りが出ていた
個人的に思う事は統合的な商業形態の代表であるデパートの衰退、多くのデパート各社が示す華やかなライフスタイル、もしくは貧困や文化への渇望からの脱出、品性のマネタイズ化
世界の多くは、このポピュリズム的な潮流に流されていた
ただ2010年辺りから流れがにわかに変わる
ITの普及による情報過多、それによる趣向や思考の多様化、世界的にITが普及し多くの人が容易に情報にアクセスできる様になる、それと同時にデパートを始め多くの統合的商業のビジネスモデルの縮小化が始まる。
それは統合的なビジネスによるマネタイズ化されたメディア力の信頼性が薄れたからだと個人的に思う。
もちろんIT化によるアルゴリズムのプロモーションも含まれてくるが基本的には情報はタダ同然になった訳だ!
IT化が進み情報へのアクセスが容易になり、小さくとも価値のあるモノやコトに消費は拡がっていく、多くの人が自身で納得いくモノやコトにアクセスできる様になったからだ。
但し情報に容易にアクセスできる様になった先にはポピュリズムが陰を潜めていた。
多くの情報が垂れ流され、真実もがネジ曲がり、小さな同意が積み重なり、その情報を精査デキずに流されていく
差別をした事や、差別された事に対して、さらに差別をするという逆差別すら世の中に存在している。
多くのジェンダーが存在しつつも、それを理解し許容、共有するのではなく、攻撃してしまう意識も見え隠れしている。
ポピュリズムによる意識の幼稚化が生んでしまった結果とも思える。
違う意見や考えに対して、この人ダメだ!この考えダメだ!と思うのではなく、このダメな状況を分かって貰える為には、どうするべきか?
それでも分からない時は、その人を相手にしないでも良いと思う、それでも前向きな気持ちを持って苦しんでる人が居るならデキる範囲で手を差しのべる。
そして後ろ向きな思考があっても最終的には前向きに考えていく。その為に前向きにする為には、どうしたら良いんだろう?と、とにかく前向きに考える。周りの声でなく、自分自身が何を思うか?自分の心の声に耳を傾ける。
他とは違う自分の特性、自分の嫌いなトコ、それも自分自身で受け入れる。その自分と同じ様に隣人も受け入れる。
それが多様性、多様化した社会を良くしてく術である。そう我々は同じ地球という星の元にあるのだから!
ココからが本題
その為のツールとして個人的に注目しているのがインクルーシブデザイン、先に話した統合的なビジネスモデルではなく、多くの人が使える包含的なデザイン
1度くらいは耳にした事あるだろうユニバーサルデザイン、それは先進国を中心に平均化された可能な限り多くの人が使えるスタンダードなデザイン
それと似ているのだが、より幅広く、排除しないデザイン手法と言われ、高齢者や身体的な障がい者や外国人などにクローズアップしデザインプロセスの上流から巻き込むデザイン手法で、現代に寄り添うデザイン手法として根付き始めているこの手法を1つのビジネスモデルとしてアップデートできないか?
統合的=インテグレーション
コレが少し前のビジネスモデルだとすると
包含的=インクルーシブ
健常者だけでなく身体的なマイノリティも包み込む、多様性を意識した新しいビジネスモデル(に成り得る)
それこそが地球規模で進めていくビジネスモデルにも成り得ると考えいる
1人が統合的に多くをやるのでなく、1人1人が適材適所になれる多くの選択肢を用意し迎え入れる事がデキる体制、そういった包含的なビジネスモデルというのは今の社会でも可能であるハズである
けれども実行デキていないのは数字や面でしか見ていないからだ
例えば食事にしてもカロリーベースで見るのでなく(食べるだけならエサだと)簡単でも良いので人が作った料理を食べるだけでも心は豊かになるし、心から健康になれる。
お金の為に働くのでなく(そんなのお金稼ぐマシンじゃない?)幸せになる為に働く、仮にお金が幸せの元だとしても幸せの為に働くという意識を念頭に置き、誰かを幸せにする事から始める
目の前の事を考えるだけでなく、その先の事も考え思慮あり、かゆいトコにも手を届かせていく
そういった中身の伴う、愛のある社会を構築するデザイン、多くの人を幸せにするインクルーシブなビジネスモデル
そんな事を思いながらインクルーシブデザインという、モノづくりのデザイン手法をビジネスモデルとしてアップデートできないのか?
そんな事を考えた試行錯誤の途中の話です。
ーそう包み込むようにー
と、まぁ先に語ったビジネスモデルもフィクションであり、まだ世にない新しいビジネスモデルの潮流を考えてみた話です。
多くを知る事で人は不安から解放される、そう考えると世の中で1番怖いのは無関心や無知なのかもしれない
自分自身、多くを知っている訳でもありませんが隣人と共に多くを共有そして許容できればと思います。あらゆる人をも包み込める社会を望む、そんな意識だけでも拡がればと願います。
読んで頂き感謝です♪
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