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【毎日日記その3】僕の大好きな「ギフト」の話

今日は僕の大好きな「ギフト」という言葉にまつわる話をしようと思います。

なぜこの話をしようと思ったかというと、最近、世の中には人間関係を損得でしか見られない人や、利用するか利用されるかでしか捉えられない人がいることを改めて感じる出来事があったからです。少し深い話になりますが、最後までお付き合いください。

まず、英語の「gift」という単語は皆さんご存じだと思います。日本語で「贈り物」を意味しますね。

実はこの「gift」という言葉、ドイツ語にも存在するのですが、驚くべきことに、ドイツ語での意味は「」なのです。

贈り物」と「」。一見全く異なるもののように感じますが、この二つの意味には深い関係があり、とても美しい人間の本質が隠されているのです。

人に贈り物をする時、物理的なものに限らず、例えば誰かが困っている時に助けたり、その人のためだけを思って行動することも広い意味での贈り物です。そうした贈り物を受け取った人は、心の底から感謝の気持ちを抱き、何かお返しをしたい、相手を喜ばせたいと思うようになります。

この「お返しをしたい」という感情は、時に強く、ある意味で圧力のようなものを生むことがあります。こうした感情の圧力が「毒」として表現されているのです。

皆さんも経験があるかもしれません。誰かから思いがけないサプライズを受け取ったり、心底困っている時に助けてもらった時、純粋な気持ちで「何かお返しをしたい」と感じた瞬間。その気持ちは非常に強く、時には自分の心を支配するほどのものになることがあります。これは一種の「強迫観念」に似ており、そこに「毒」という意味が込められているのかもしれません。

つまり、「gift(贈り物)」という行為は、相手に喜びを与える一方で、同時にお返しをしたいという感情を生み出し、その感情が心の中でプレッシャーとなって作用することもあるのです。これが、贈り物が「毒」でもあるとされる理由なのです。

この話を踏まえて僕がとても美しいと感じたのは、このドイツ語が誕生したのは数千年前であることを考えると、当時の人間も同じように感じていたということ。

つまり、これが何千年も変わらない人間の本質であるというところです。

贈り物をする。返したいと思い、贈り物を返す。更に返された方はまた返したいと思う。これを繰り返してきたということです。

こうして人々は助け合い生きてきたことを考えるとそこに人間の本質のようなものが見えて、とても美しいなあと感じたわけです。

てなわけで、人間関係を損得でしか見れない人は、純粋な気持ちで贈り物を贈る時のワクワク感、贈り物を受け取って喜んでもらえたときの幸せな気持ちを体験し、そこに注意を向け、この美しさに気づいて欲しいなと思います。

それではまた次回お会いしましょう!

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