リハビリつれづれ 7

「ただいまー。」
「おかえり。お風呂空いてるよ。」
 最寄り駅から十五分、築四十年の一軒家に私は両親、弟の優人との四人で住む。私が帰宅すると、大学生の優人と仕事終わりの父親はリビングでごろごろとテレビを見ており、母親は食事の後片付けをしている。私は、こびりついている疲労感をシャワーでなんとか洗い流し、母親の作ってくれた焼きそばを電子レンジで温める。
 母親や実家のありがたみを感じるのは、社会人になってからである。学生の時は、母から小言を言われ、家族と同じ生活リズムで生活しなければいけないことに息苦しさを感じていたが、社会人になると、そんなことより家に帰ればご飯があり、暖かいお風呂が湧き、何か困ったことがあればすぐに相談できるという当たり前のありがたみに気付くのである。もちろん恥ずかしがり屋の私はそんなことを母親に伝えられるわけではない。
 食器を片付け終えた母は、私の食べている焼きそばに青のりを振りかけながら私達に声をかけた。
「今月の唐山のコーヒー来たけど飲んでみる?」
「飲むー。」
「飲む!」
「飲みたい!」
「はーい。じゃあ四つね。オーダー!唐山コーヒー四点ですー!」
 我が家は、明治創業の老舗喫茶店“唐山”から、コーヒー豆を年間契約しており、毎月、唐山厳選のコーヒー豆が自宅に届くようになっている。この唐山のコーヒーは我が家にとっては高級品で、毎月飲み切れる少量分しか頼んでいないため、日常的には飲むことが出来ない。普段はインスタントコーヒーや、市販の挽いてあるコーヒー豆を飲んでいる。これを飲むのはお祝いの時や、家族が揃っているときに飲むことが多い。この唐山のコーヒー豆をコーヒーミルで引き、お湯を注げば日常的な我が家に喫茶店のような本格的な香りが漂ってくる。
 今月のコーヒーは“コロンビアスプレモ”。唐山のコーヒーは、コーヒー豆が入っている袋にそのコーヒーの説明と豆知識が書いてあり、それを母が読んでいる。
「“コロンビアスプレモ“は南国のようなフルーティーな香りと深いコクと苦み、濃厚な甘さがバランスよくマイルドなコーヒー。コクが深いためチョコレートやナッツとの相性がいいです。正人―、”コロンビアスプレモ“の”スプレモ“ってどういう意味か分かる?」
「わかんないー。」
「なんだと思うー?」
「スプラッシュレモン。」
「そんなフレッシュではありません。豆が大きくて最高級のもののことを言うんだって。」
「へえー。」
「ちなみにエメラルドマウンテンってあるでしょ?それってコロンビアコーヒーの上位三パーセントの品質の豆のことを言うんだって。」
「へえー。豆知識に書いてあったの?」
「そう。これ読んでるとコーヒー検定一級合格できそう。」
「そんな資格あるの?」
「しらない。」
 コーヒー検定の合格より、インチキ検定の合格の道の方が速い気がする。
我が家はコーヒー好きであるが、そこまで違いが分かるわけではない。美味しいと言われているものを美味しいと飲むのがいいのである。こだわり過ぎて窮屈になるよりはこれくらいの気の持ちようの方が美味しく飲めるだろう。飲み方もひとそれぞれで、私はカフェラテで砂糖を入れる。父はブラック、弟は砂糖・牛乳多め、母親はカフェラテ無糖で飲むことが多い。
「できたよー。それぞれ自分のコップとってー。」
 “コロンビアスプレモ”は確かにフルーティーな香りがする、気がする。インスタントのコーヒーより匂いが芳醇なことは当たり前なのであるが、紅茶のような香りが漂う。飲んでみると、豊かなコクと砂糖の甘さというよりはコーヒーの甘さが牛乳と合わさり絶妙なハーモニーを醸し出している。
「今回の唐山コーヒーも美味しいね。確かにフルーティーだ。」
 ブラックで飲んでいる父は一番コーヒー自体の味が分かるのかもしれないが、フルーティーと言われたからフルーティーと感じているだけかもしれない。
「ちょっと砂糖入れすぎてない?」
と優人が母に文句を言う。
「いつもと同じスプーン二つだよ。文句があるなら自分で作りなさい。」
「この間作ったじゃん。」
「別に毎日作ってもいいんだから。あー、確かに甘いかも。これコーヒーの甘さなんじゃない?」
「あー、そういうこと?」
 それぞれコーヒーの感想を言いながらゆったりとした時間が流れる。我が家はエアコンやテレビがそれぞれの部屋にないため、皆がリビングに集まる。そしてテレビをみながらコーヒーを飲むのがいつもの流れである。
 テレビでは、本日初回の恋愛ドラマ”天使のハートが診れないプリンス”が放送されている。これは、今をときめくイケメン俳優が医者の役、好感度ナンバーワン女優が新人看護師の役をしている医療恋愛ドラマである。私と弟はこのドラマが楽しみで放送が待ち遠しかったのだが、母はあまりドラマに興味がない人である。自分で淹れたコーヒーに満足しながら優人に話しかける。
「これ誰と誰だっけ?」
「菅山賢人と柏原陽奈はるな。」
「あー、そうだ。チョコレートのCM出てる人だ。」
「違う、それはなるみ―。柏原陽奈の方が、顔が小さいじゃん。」
「そう?全然顔が一緒にみえるけど?それより賢人君もうちょっと太った方がいいんじゃない?これじゃBMIでいったらやせ型よ。」
「こういうスラっとした高身長がモテるんだよ。」
「ふーん。」
 BMIとは、身長と体重から算出される肥満度を表す指数である。私の母は介護老人保健施設(“老健”と略されることが多い)で看護師として働いており、医療の知識を持っている。そのため、ときどき私と母で医療用語を用いて話をしていることがあるのだが、会社員の父と文系大学の優人は話に付いていけず、置いてきぼりにしていることがある。
 ドラマでは、やる気に満ち溢れた新人看護師が、イケメンドクターにアピールをしている。
「先生。高橋さん、このままでは楽しみにしていた奥様とのご旅行に行けません。だから、私たちが歩けるように全力でサポートします!」
 そこに、母はツッコミを入れる。
「柏木さん、熱意があることはいいことだけど、実際病院で歩行訓練するときはまず理学療法士が関わるよね。」
「まあね。あと、柏原ね。」
 実際の医療現場では、身体機能に低下がある場合、医師からの指示がありリハビリ職にリハビリオーダーが出るのが一般的である。そして旅行に行けないという理由で看護師さんが歩行練習をするのはほぼありえないだろう。一理学療法士の私としては、もちろん看護師さんが患者さんの運動機能のことを考えてくれるのはありがたいのだが、せめてドラマでも、
 「リハの○○さんからアドバイス貰ってきたからみんなで頑張りましょ!」
 と、一言いただきたいものである。そうすると、そのドラマのリハ職支持率は上がり、視聴率が0.01%くらいは上がるだろう。ただ、たかだか0.01%の上昇ではテレビ局の方々は喜ばないのかもしれない。世の中のリハビリテーションという職業の認知度の低さに憂鬱になりそうである。
 ドラマは終盤に入り、高橋さんは杖も持たずにすたすたと歩けるようになり、新人看護師はイケメンドクターのアドレスを聞けなかったところでドラマは終了した。我が家もそれぞれ寝る準備を始めたため私も洗い物をして明日に備えることにした。


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