葬儀が出来ない異常な現状
私のおばが
先週ガンで亡くなったのですが
やっと葬儀ができたのは【一週間後】です
葬儀場が混んでるのか
火葬場が混んでるのか
住職が時間が取れないのか
私にはわかりませんが
とにかく【混んでる】らしく
葬儀は一週間後しかできないので
おばは一週間安置所で保管されていました
私たちは離れた土地に住んでいて
田舎なので
都会の状況はわかりませんが
おばの家族も
今までに経験がないそうです
本来ならとっくに葬儀を済ませ
火葬され家に戻ってきている段階でも
家族は待機
亡くなったおばも安置所で待機です
本当ならとっくにもらえてるお経も一週間
もらえず
本当ならとっくに貰ってるであろう供物等も
もらえず
亡くなってもなお
おばにとっても
家族にとっても
しんどい一週間だったのではないかと思うのです
そして葬儀もお通夜はなく
告別式のみです
コ※ナ禍以降
葬儀自体の形も大きく変わりました
それまでは
適度な場所を借り
親類縁者、近所の方などが集まり
お参りをし
お通夜が終わると
身内でちょっとした宴会をして
寂しいはずのお葬式も
久しぶりの親戚の集まりで
わいわい賑やかに過ごしたものです
亡くなった方も
この身内がたくさん集まった
賑やかな宴会は嬉しいのだろうなぁと
いつも思っていました
でもコ○ナ禍からは
家族葬がほとんどになり
家族葬には私も特に
反対の気持ちはありませんが
なぜか
亡くなっても周りに知らせず
事後報告のみで
本当に数人の家族だけで葬儀を済ませる家が
とても増えました
勿論どのような形を選択しても自由なのですが
先日亡くなった知り合いの方は
入院中は恒例の
「感染防止の為面会できません」で
家族とも一切あえず
ただ命が閉じるのを病院のベッドの上で
待つだけでした
そのため娘さんが職場に長期休暇をとり
自宅に連れて帰り
亡くなるまで献身的に看病をしたのですが
その方は家族には勿論感謝しながらも
○○さんに会いたいなぁとか
○○ちゃんどうしてるかなぁと
知り合いに会いたがっていたそうです
でもそんな願いも叶わず亡くなり
そして家族三人で葬儀を済ませ
亡くなったことも周りには事後報告のみでした
病院でも自宅でも寝たきりで
家族以外は誰にもあえず
葬儀でも家族以外は誰にも会えない…
なんだか寂しいと思いませんか?
昔から
当たり前のようにやってることって
やっぱり「意味があるから」だと思うのです
誰かが亡くなると
身内や親しい方にお知らせしたり
香典を出してお参りをしたり
お通夜の夜は親類縁者でお酒を飲んで
寂しいはずのお葬式だけど
わいわい賑やかに過ごして
お別れをする
そんなお別れの仕方が
すっかり簡素な
寂しい形式に
変わってしまったのは
茶番のコ○ナ禍から
そして枠で物凄い数の人が次々亡くなり
(どこかの新聞が「超過○亡はコ○ナ渦の運動不足が原因」とか言ってますけどアホなんですか?)
葬儀も満足に出来ない現状
とっくに貰えてるお経ももらえず
火葬もなかなかされず
お供えもろくに貰えず
闘病の末亡くなり
死してもなお
お腹ペコペコで
楽にさせてもらえず…
これはなにが原因ですか?
本当にコ○ナ禍の運動不足なんですか?
茶番のコ○ナも
枠も
一般の国民は「誰トク」なんでしょうね
多様性とか多文化なんちゃらとか
それっぽい言葉に翻弄されず
昔々から行われてる事柄の意味や必要性を
今一度考えてみても良いのではないかと
思っています
そして
今の日本で起きている
「葬儀が一週間待ち」
このことの意味をたくさんの方が
知る事が必要だと思っています
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