想像もできない<現実>と向き合えるのか〜「正欲」
この映画の彼女は、もうガッキーなんかじゃない。女優・新垣結衣なのだ。
ラスト数分の、稲垣吾郎と対峙する彼女の眼差しは、諦めと失望と自棄と、そして孤抱だけが残った無気力さで、凄まじかった。
多様性という言葉は、現実の範囲をぐんと広げていく。
広がった現実も受け入れますよ、と扉を開ける。
でも、それはあくまでも、想像の範囲の現実。
この物語にあるように、想像もできない<現実>がぽんと目の前に現れてしまったとき、それも多様性のひとつとして広い心で受け入れられるか、というと、自信はありません。
やはりそれは、身の回りにある現実だけが、多くの人にも共通の現実だと信じているから。
多様性ってなんだ?
最近も<困ったときにそういっておけばいい>的に、多様性という言葉使う人がいました。
本当の多様性をどこまで想像できるのか、それも自信がありません。
想像もできない<現実>に出くわしてしまったら、とたんに大慌てとなり、多様性という言葉を置き去りにして、おそらく逃げ出しちゃうんじゃないだろうか。
だから、流行語のような多様性という言葉、かなり危険で向き合う覚悟がなかったら、軽々しく使っちゃいけない気もしたりします。
今って、矛盾の崖っぷちで、バランスをかろうじて取り合っている時代かもしれません。
そういうタイミングで生まれたこの物語(小説も映画も)は貴重です。
ハッピーエンドでもないし、結論めいたものもないし、なんたってラストでは、簡単に想像ができる現実と、「あり得ない」と想像を拒絶する<現実>が、どうだ、と強烈に問いかけてきます。
もう一度観よう。
もう一度読もう。