蜜柑を巡る、「ない」ことと「ある」ことの物語をふたつほど
みかん…ミカン…蜜柑。
蜜柑がおいしい季節です。
そんな蜜柑がもっと美味しくなる(かもしれない)お話をふたつ。
村上春樹の短編「納屋を焼く」に
パントマイムを習っている女の子が出てきます。
男性の前で延々と<蜜柑むき>の
パントマイムを繰り返します。
「納屋を焼く」を映画化した映画「バーニング」(監督:イ・チャンドン)にも
<蜜柑むき>のシーンがあり、
ヒロインのチョン・ジョンソが
蜜柑むきのパントマイムを見せてくれています。
文章ではするっと流れてしまう蜜柑むきも、
映像となるとかなり官能的で、
見えない果汁の滴りに舌なめずりしてしまうほどです(チョン・ジョンソが妖しげなのも相まって)
そんな蜜柑むきのパントマイムに「才能あるね」と言われ、彼女が返します。(小説でも映画でも)
「こんなの簡単。才能でもなんでもない。
要するにね、
そこに蜜柑があると思いこむんじゃなくて、
そこに蜜柑がないことを忘れればいいのよ。
それだけ」
続いて、
大好きな映画に「東京マリーゴールド」(監督:市川準)があります。
主人公・田中麗奈が恋をした男性にはアメリカ留学中の彼女がいます。
それでもいいから
「(彼女が帰ってくるまでの)1年間だけでもいい、期間限定でもいいから私とつきあって」といって恋をはじめる女性の物語です。
以下は、
田中麗奈が、(期間限定の)カレの前で
ほとんどひとり語りをする
100%アドリブ(多分)のシーンです。
さて、
蜜柑にまつわる部分だけを抜き出してみました。
かたや
「ない」ことを忘れて「ある」ことを浮かび上がらせる。
かたや
「ない」ことを埋めるために別の感情が生まれるか。
メタファーに優れている作品は腐りません。
興味をお持ちになったら全編をお読み(ご覧)ください。
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