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マイ・ライフ・サイエンス(9)「ダーウィンとミミズ」

 農家の方はミミズを大切にしているのだと、ある日父が教えてくれたことがありました。何故そうした話になったのかは覚えてはいませんが、私が小学二年生だったころです。
 雨上がりの道の端などでうねうねしているミミズがいると気持ち悪いなと思っていた程度で、何故大切かなどこれっぽっちも考えたことなどありませんでしたが、その父の断定的な言葉はずっと脳裏に焼きついたままでした。
 そして、チャールズ・ダーウィン。彼とミミズとの関係は後ほどということで…。
 さて、「ダーウィンが『種の起源』で進化論を唱え、そして人間は進化の最先端にある、とても進化した生物だ」というのが学校教育で初めて教わったダーウィンで、私はそのまま鵜呑みにして生きていました。
 そして1990年代のある日、ダーウィンの「ミミズと土」という不思議な書物に出会いました。これはダーウィンの最後となった科学書(1881年)で、進化論で有名なダーウィンは、実はミミズの研究家だったのを、初めて知ることになりました。
 さらに、この本に出会った直後に、スティーヴン・J・グールドの「ダーウィン以来」という本に出会い、目から鱗状態になりました。ダーウィンは、「種の起源」で敢えて「進化(論)」とは言ってはいなかったという事実を知り、驚くだけでなく、先生たちの無見識に驚くことになりました。おそらく先生たちは1859年発行「種の起源」もその二十年前の1839年発行「ビーグル号航海記」も読んではいなかったのだろう。(この二十年も実は意味がありました)
 ダーウィンの考えを簡単に記すと…生物はいくつかの変異をもった子孫を残し、その都度の環境にたまたま適合した子孫が生き残るとしたわけで、「進化」ではなく「変異」と言いたかったわけです。(ここでは、とても簡略化して語っております)
 1839年に「ビーグル号航海記」発行したものの、なんと二十年間もの間、ダーウィンが「種の起源」を世に問うことを躊躇ったのは、西欧社会が「変異」と捉えずに「進化」と捉えることに危惧したのもあるようです。
 人間こそ最高に「進化」した生物だ的な西欧社会に根強くある宗教的な価値観から一線を画そうとしたようです。ところが残念ながら、ダーウィンの考えにしっかり耳を傾けることなく、この「進化」思想は21世紀になっても未だに根強くあり、私に「進化論」を教えてくれた先生たちも見事に間違っていたわけですね。
 さて、ミミズです。
 1859年に「種の起源」を世に出し、その後ダーウィンはコツコツとミミズの生態を研究し、死の直前の1881年に最後の科学書となる「ミミズと土」が発行されました。
 この地球の大陸の表面を覆う肥沃な土は、ミミズが岩石を砕や植物などを体内に入れ、消化器官を通して糞として出されたもので、私たちはミミズのおかげでそうした肥沃な土の恩恵を得ているわけです。二億年前には生存していたミミズは、大きな「変異」をすることもなく淡々と土を耕してきたと考えると、生物のなかで最高に「進化」した生物だと身勝手に考えている人間は、とても浅はかに見えてきます。
 「農家の方はミミズを大切にしている」という父の言葉からは、何百年も土を耕してきた農民の、ミミズへの深い眼差しがひしひしと伝わってきます。
 変異を「進化」だと身勝手に読み替え近代化に邁進する社会の様相を眺めながら、ミミズの研究に没頭していたダーウィンは、何を考えていたのか…。
 今日もまた、テレビやSNSや様々なメディアから流れ出る情報は、ダーウィンの危惧などお構いなしで、「進化」した頭の良い人間として私たちは振る舞っています。ときに、ミミズに想いを寄せるのも良いかと思っています。中嶋雷太

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