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ワードローブの森の中から(2)「ブルックス・ブラザーズのボタン・ダウンの白シャツ」

 私のワードローブの森の中には、12枚の同じ白シャツが、綺麗に畳まれ眠っています。すべてブルックス・ブラザーズのボタン・ダウンの白シャツで、すべて首回り15インチ半、袖丈32インチです。
 初めてこの白シャツを購入したのは1980年代後半だったかと思います。
 東京の南青山にあったブルックス・ブラザーズのお店にふらりと立ち寄り、「あ、これが良い」と手にして以来、このボタン・ダウンの白シャツとの歴史が始まりました。ちょうど、ある外国の政府機関に勤めて出したころで、毎日、それなりに綺麗なスーツで出勤したいと考えながらも、どこか崩したいと思っていました。いわゆる、サラリーマン・スーツではなく、トラッドな雰囲気に憧れていたのかもしれません。
 それ以来、私は同じサイズの同じ白シャツを身につけてきました。
 最初の出会いは「見た目」で良いなと判断しましたが、身につけているうちに綿100パーセントの着心地だけでなく、立体的な縫製や襟の高さや形などに惚れていったのだろうと思います。言い換えれば、社会人の私に馴染んだのがこのシャツでした。もちろん、中学生から高校生、高校生から大学・大学院と、様々なボタン・ダウンのシャツを身につけてきたわけですが、ブルックス・ブラザーズのものほどの着心地を感じたことはありませんでした。
 1990年代に入っても、年に一度ほど南青山のブルックス・ブラザーズに顔を出し3枚ほどまとめて買っていました。そして2000年、WOWOWのロサンゼルス事務所の初代所長としてロサンゼルスに住むことになると、ロサンゼルスのセンチュリー・シティのモールにあったブルックス・ブラザーズのお店が御用達になりました。そのころ、形状記憶版が発売されたと思います。これまでの綿100パーセントのものより生地の手触りは軽く硬質になり、「さてと、どうしようか」と一瞬悩みましたが、年じゅう温暖なロサンゼルスで毎日身につけるには、自宅で洗濯して干せば、皺にならず便利だと、それ以来、形状記憶版を購入することにしました。
 洗濯後のアイロンがけの話は、また別の機会で綴りたいと思いますが、中学に進学したころから、私はシャツのアイロンがけが好きだったのを覚えています。少々ませていたと思いますが、当時、男性ファッション雑誌「メンズ・クラブ」を購読していた私は、シャツのアイロンがけの記事を読むやアイロンがけをするのは大人の男の嗜みなのだと考え、中学校に着てゆく安物でペラペラなシャツでしたが、アイロンがけに余念がありませんでした。高校生になると綿100パーセントのボタン・ダウンのシャツばかりで、洗濯物が乾くと、アイロン台とアイロンをいそいそと取り出し、丁寧にアイロンがけに励んでいたものです。
 このブルックス・ブラザーズの襟元のタグを見ると、「The Original Polo Shirt」という文字が刻まれています。19世紀、アメリカ人のジョン・E・ブルックスが、英国を訪れポロの試合を観戦したとき、ポロ選手の襟元に注目したそうです。ポロ選手の襟が試合中にはためいていて視界を遮っていたと言います。帰国し、祖父の会社でこのボタン・ダウンのシャツを導入したのが1896年で、それ以来「The Original Polo Shirt」という文字がタグに刻まれています。ちなみに、ブルックス・ブラザーズはアメリカで最古の紳士服店のようです。
 この来歴を知ったのは、実は2004年ごろ。ロサンゼルス滞在から帰国してしばらくのことだったと思います。あまりにも身近だったので、その来歴さえ知ろうとしませんでしたが、パンフレットか何かに書かれていたはずで、それを知ったとき「なるほどなぁ」と感嘆したのを覚えています。
 コールハンの革靴(後にナイキとのコラボのものばかりになります)、リーバイスのデニム、ジャケットはブルックス・ブラザーズのブレザー、そしてこのボタン・ダウンの白シャツという基本ファッションは、ロサンゼルス滞在中に出来上がったはずです。ロサンゼルスでネクタイを締めることはほとんどなく、帰国してからもそれを通しているうちに、「猛暑だ、大変だ!」となりノーネクタイの時代がやって来たので、それ以降はノーネクタイのまま、この基本ファッションを崩さずにいます。
 ネクタイをしても良いのですが、上述した来歴を考えると、ネクタイをしなくても襟元のデザインは素晴らしいものです。
 2019年春にサラリーマンからフリーランスとなり、2020年春から新型コロナ禍となり、打ち合わせもリモートが基本となったここ数年、ブルックス・ブラザーズのボタン・ダウンの白シャツを身につける回数も激減しましたが、私のワードローブの森には欠かせぬものとなっています。中嶋雷太



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