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ワードローブの森の中から(58)「…そして、ある夏、サコッシュにたどり着く」

 人それぞれカバンとの歴史があるはずですが、その「カバン史」を描いた本を見かけたことがありません。おそらくですが、自身の肌身に触れてきたカバンについて語ることは、自分の自我の近接点を語るような恥ずかしいような後ろめたさがあるのではないかと思っています。
 そういう私もまた、ワードローブの一角に眠るカバンたちを、敢えて打ち捨てているようです。あまりにも身近なので、オイ⇔オマエ的な交友関係を超え、雑な扱いになっているようです。
 物心ついた時に、幼稚園用の肩下げカバンを持たされたのが我がカバン史の記憶にある始まりです。その後、小学校に入学すると牛革の重いランドセルを背負うことになり、勝ってもらった当初は嬉しさのあまり家で両肩を通して喜んでいましたが、一年生の一学期が終わるころには、ほとほと愛想がついていました。 
 中学生になると、PUMAやMadison Square Gardenのバッグをぶら下げていました。何故、Madison Square Gardenというニューヨークのエンタテインメントの劇場のが流行していたのか、あれは日本の風俗史としては研究するに値しますね。かなり優秀なマーケティングのプロが仕掛けたような気がします。仕事でMadison Square Gardenの方々に会ったことがありますが、ロケット・ダンスがイチオシで、NBAのバスケットボールはあくまで場所貸しだったのを改めて知り、なんだかイメージが大きく変わったのを覚えています。ロケット・ダンスがイチオシなMadison Square Gardenのカバンを持っていた日本の学生たちの一人が私でした。
 高校生になると、学校からは強制されていなかったものの、黒い革のカバンになりました。あれも不思議なものです。
 そして、大学生になると、バイクで通学を始めたのと、POPEYEが創刊されアメリカ西海岸ブームもあり、バックパックばかりとなりました。京都の盆地だったのに、UCLA気取りでしたから、今から思うと笑いますね。
 そして、社会人になると革のカバンを片手に通勤し始めました。システム手帳が流行っていたのと、いつも何らかの雑誌と文庫本を二、三冊持っておきたいと思っていたので、革のカバンの重いこと。やがて、一時期法務を任されることになり、弁護士事務所に訪ねることが多くなり、ダレスバッグを買って格好をつけていました。
 ところが、2000年にL.A.駐在となると、車通勤が当たり前で、プライベートでも車移動になったこともあり、気づけばカバン文化から距離を取るようになっていました。そして、2007年にiPhoneが発売されると、私のカバン史は一気に収束を迎えました。同時期に腕時計をしなくなったのも、スマートフォンの大旋風が理由です。
 そして、ある日、ハタと気づきました。「俺…カバン持つのが嫌いだったんだ」と。手に何かを持つことが面倒で面倒でたまらなかったのに、時代感覚というのは恐ろしいもので、カバンを持つことが常識だという概念の囚人になっていたわけですね。但し、物理的なカバンの囚人から、今はスマホの囚人と化している私ですが。
 さて、とはいえ、サングラスやタバコやら小物を持ち歩かねばなりません。冬場はコートなども着込むのでポケットがあれこれ豊富にありますか、問題は夏場です。基本はカーゴの短パンとなりますが、TPOでカーゴを履かない場合、とうすれば良いのか…と悩んでいると、ありました、サコッシュという手が。因みに、サコッシュとポシェットの違いをGoogleで調べてみると、マチがあるのがポシェットで、マチがないのがサコッシュだそうです。
 その違いは知りませんでしたが、マチがあるとせっかくの薄手の肩掛けカバンがなんとなくどでんとするようで嫌っていたのと、ポシェットは女性が持つものという既成概念が働いていて避けていたのがあります。
 しかし、ある日、サコッシュに出逢い、私の既成概念は一瞬で崩壊しました。そして、今や、我がワードローブには十数種類のサコッシュがぶら下がっており、その日の気分で色目や形を選び、肩から下げています。
 2023年の夏時点では、デジタルのiPhoneとアナログのサコッシュの組み合わせは最強のようです。
 ここまで綴ってきて、旅行カバンの歴史を省いているのに気づきました。一時期、国際部という部署におり海外出張が多く、ミリオン・マイラーにまでなったのですが、海外出張を共にした旅行カバンについては、また別の機会にお話しなければなりませんね。
 では、今日は、黄色いサコッシュとともに朝カフェに出かけます。 中嶋雷太

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