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ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(34)「ビーチ・カントリーの72侯」

 昨年10月に、長年住み慣れた世田谷から湘南・片瀬海岸に引っ越してちょうど一年が経とうとしています。あっという間の一年で、季節の変わり目を充分楽しむこともなく、望洋と過ごしてきた感があります。
 ロサンゼルス在住時の3回を含め、我が人生15回目の引っ越しとなりましたが、新しく住む町はそれまでとは異なる季節感が流れているのは確かなのですが、数年住まないとその微妙な変化を感じ取ることはできないものだと思っています。
 日本の季節は、元々24節気あり、細かく分けると72侯もの季節感の区切りがあります。何代も京都の町衆として過ごしてきた祖母のことを思い返すと、明治生まれの祖母にはその72侯の季節感があったようです。我が家(祖母)が贔屓にしていた和菓子屋さんがありましたが、24節気ごと、つまり半月に一度はその季節の和菓子を届けてくれていました。やがてそれが無くなったのは1970年代に入った頃だったと記憶しています。
 日本の歴史上、京都の町衆たちは24節気72侯の季節感を肌身に感じながら日々の生活をしていたのだろうと想像すると、これぞ無形文化財だというような気もします。
 とはいえ、日本各地にはそれぞれの季節感があるはずで、京都の季節感とは異なり多義にわたるもののはずですが、明治政府の西欧風教育のせいか、マスメディアの天気予報のせいか、それともファストファッションチェーンのせいか、全国一律に24節気72侯は無くなり、欧米風に「四季」と捉えるようになりました。
 この一年の私はというと、望洋と季節の変化を捉えていただけで、ちょっとした変化を感じ取ることはできないでいました。きっと、小さな変化があったはずなのですが、それらを感じ取る感覚がまだ研ぎ澄まされていなかったように思われます。
 この数十年ほどのあいだに、温暖化のせいで、暑いか寒いかの「二季」のようになってきましたが、とはいえビーチ・カントリーなりの24節気72侯を見極めたい、見極める感覚を研ぎ澄ましたいと願っています。72侯もの季節の変化を楽しみながら人生を歩むのはきっと豊かなものに違いありませんから。
 秋分の日を過ぎたのに夏日が続き、秋のはずなのに夏が居残っているので、ここに投稿した漢字(「なき」と読みます)を造作し、自分なりの季節を勝手に作って遊ぶのもまた良いのかも知れません。国語学者には叱られるでしょうが。中嶋雷太

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