見出し画像

マイ・ライフ・サイエンス(24)「人間と渚(みぎわ)」

 波打ちぎわという言葉がありますが、それを「渚」(みぎわ)と呼びたくなります。波打ちぎわ、だと、絶えず波が寄せたり引いたりしているように思われ、しばらく前まで波が打ちつけていて潮が引いたあとの濡れた砂浜を除外してしまうように思われるからです。太陽が照っていると、この部分が光輝いていて、海と砂浜を繋げる役割を果たしているように思われます。海でも砂浜でもない、渚という言葉が持つ良い感じの曖昧さが面白いのもあります。
 そんな渚を毎日散歩していると、人の姿がいつもあります。江ノ島が目の前にある毎日なので、その多くが観光客の皆さんであることは間違いなくて、休みの日になるとその数は何倍にもなり、海岸線に沿って何キロも繋がる渚に寄せては引く波を楽しんでおられる様子です。
 海水はまだまだ冷たいので流石に渚に足をつけることは叶いませんが、かく言う私もまた渚に寄せては引く波を毎日楽しんでいる一人です。
 先日の、春にしては珍しい夏日に、子供たちがキャッキャと波と戯れ、JKたちがTikTokにでも投稿するのでしょうか、渚に数人固まりポージングの練習に励んでいました。老若男女関係なく、人はどうやら渚に魅せられるようです。
 海のない京都市内という盆地で生まれ育った私にとって海というのは憧れで、クストーの海洋調査のテレビ番組やヘミングウェイの小説や「エンドレス・サマー」や「ビッグ・ウェンズデー」といった映画などが大好きで、いつの日にか海の側で暮らしたいという願いが何十年も心の奥底にあり、昨年ようやく湘南片瀬海岸が目の前の家に引っ越しをすることができました。(我が人生15回目の引越しでしたが)
 憧れの海辺暮らしを楽しみながら、ある日ふと考えたのが、人間は何故渚に引き寄せられるのかということでした。京都盆地に生まれた私だけではなく、湘南片瀬海岸を訪れる日本人や海外からの観光客までが、何とも言えぬ憧憬の眼差しで渚を楽しんでいます。
 この渚への憧憬を諸々考えながらGoogleで暇つぶしに検索していると、ある記事が目につきました。
 2014年。オックスフォード大学の天文物理学者であるスティーブン・バルブス氏の仮説ですが…魚が陸に上がった時期と言われる4億年ほど前のこと。月ー地球の距離は現在より約10%ほど近かった。なので、太陽ー月ー地球が一直線上になった時の大潮が現在の地球よりも強かった。2週間ごとにこの大潮が発生していた。…ので、魚類は渚に打ち上げられ易く、中には渚で生息を始めた元魚たちがいたのではないかということでした。また、4億年前。地球は、二つの超大陸ー北にローラシア大陸と南にゴンドワナ大陸ーしかなく、人類の祖先たちはこの二つの超大陸の渚に生息していのだと思われます。
 そして約4億年後のいま。おそらくですが、人間のDNAの奥底に、当時の記憶が刻まれているように思われます。渚特有の振動であったり風であったり香りであったり…二足歩行で脳が大きくなり理性を獲得した人間ですが、それでも基本である動物的な感覚は深く残存していて、今日もまた、人間は渚に憧れ、渚を楽しんでいるのかもしれません。中嶋雷太

いいなと思ったら応援しよう!