マイ・ライフ・サイエンス(36)「何故、男性高齢者は川を見に行くのか?」
豪雨で川の氾濫のニュースがあると、男性高齢者が川で溺死という悲報が時々伝えられます。増水した川や水路を見に行っての溺死なのですが、何故、男性高齢者ばかりなのかが、ずっと不思議でいます。
実は、私の父に訊ねたことがあります。京都の実家に住んでいたころ、その町内の南側に細い運河が流れていました。1863年に掘削された西高瀬川です。ある日のこと、風雨激しい台風がやって来たのですが、老齢に達していた父が「ちょっと、そこを見て来る」と外に出かけました。数十分後、雨でびっしょり濡れそぼった父が帰宅したので、「何をしてきたのか?」と問うと、「万が一、増水して川が氾濫するかもしれないだろ」との答えが帰ってきました。頭の中が「?」になった私は、「じゃあ、氾濫したとして、何かできるの?」と意地悪な質問をすると、父は嫌な顔を残し風呂場に消えて行きました。
この西高瀬川の北にあった実家は数メートル標高が高いので、万が一氾濫したとしても標高の低い南へと氾濫水が流れ出るはずで、まして、氾濫したとして父一人ではできることが何もありません。
同じことが数度あったものの「変な父だな」とだけで特に何の思いもなく置き去っていましたが、この数十年、同じような男性高齢者が全国各地にいるようで、溺死のニュースが増えてきたように思われ、「何故、男性高齢者は川を見に行くのか?」という疑問がどんどん膨らんできました。
さて、何故でしょう?
羊水への母体回帰願望なのか、住んでいる町を守りたいという家父長制の延長の思いなのか、それとも高齢者特有の認知機能低下による幼児化なのか…学際的な社会科学の視点で一度考察してみたいと考えています。現時点ではここに上げた三つの動機は少なくともあるかと思っていますが、さて、真実は如何?中嶋雷太
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