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本に愛される人になりたい(62) マックス・ヴェーバー著「職業としての政治」

 おそらく、本書については、この「本に愛される人になりたい」シリーズで取り上げたことがあると思いますが、最近、問題を起こしたと言われる国会議員の言葉がとてもひっかかるので、改めて。
 何かの問題を起こすと、国会議員の方は「党に迷惑をかけた」と頭を下げ、半年ほど静かにしていればマスコミも国民も忘れるだろうと、雷雨から身を避ける蚊が雑草の葉陰に隠れるように、姿をすっと隠します。
 総務省のウェブサイトによれば「選挙によって選ばれた代表者は、国民や住民の代表者となります。したがって、その代表者が職務を行うに当たっては、一部の代表としてではなく、すべての国民や住民のために政治を行うことになります。」とあるとおり、国会議員は国民全員の代表者として一時的に権限を負託してもらったわけですから、問題を起こした国会議員は、国民全員に「迷惑をかけた」わけで、迷惑をかけたなら、その職を辞するのが本来的な姿ではないかと思っています。どのような政党党派にかかわらずです。
 その国会議員が選挙区で、投票率50%で投票者の50%を獲得したとして…。100人の有権者がいるとすると、50人が投票し、25人がその候補者に票を入れたわけですから、つまり100人の有権者のうち25人だけがその人物を肯定的に推したことになります。逆から見れば75人が否定的だったわけですね。さらに、有権者ではない、選挙権のない未成年等もいます。人口統計からざっくり計算すれば100人が有権者なら25人ぐらいでしょうか。こうして考えると、125人のうち25人の推しがあったものの、それ以外の100人はその立候補者に否定的か、もしくは肯定的な意思表示をしていないわけです。
 けれど、国会議員になれば、その125人すべての代表者として立ち居振る舞わねばなりません。125人のうちの25人、もしくはその票を集めてくれた所属政党だけしか見ないから「党に迷惑をかけた」と発言するのだと思っています。とっても、残念でなりません。
 国民全員の代表者だという基本の「き」を踏み躙り、所属政党だけを見るその先には、日本の近くにあるいくつかの専制主義国への道があり、とても危険だなぁと思っています。(それについては後段で)
 この一点だけは、心清らかにして、国会議員の皆さんの大原則として理解しておいてもらいたいと思っています。
 さて、「職業としての政治」です。
 これは、1919年1月28日に、ミュンヘンの学生団体の為に行われた講演をまとめたものです。第一次世界大戦で敗戦し、ドイツ帝国の帝政が廃止されるという激動の時代に行われた講演です。
 この1919年1月時点では、国家社会主義ドイツ労働者党、つまりナチ党は成立していませんが、その前身であるドイツ労働者党が、マックス・ヴェーバーのこの講演のおよそ三週間前に結党され、およそ一年後の翌年1920年2月に国家社会主義ドイツ労働者党が結党します。
 そうした時代の臭いをひしひしと感じていたのでしょうか、マックス・ヴェーバーの言葉は、来たる時代への警笛のようにも読み取れます。私が警笛だと思うポイントを要約すると…。

「政治に関与する人間は、権力の中に身をひそめている悪魔の力と手を結ぶことになる。しかもこの悪魔は恐ろしく老獪である。行為者にこれが見抜けないなら、その行為だけでなく、内面的には行為者自身の上にも、当人を無惨に滅ぼしてしまう結果を招いてしまう」となります。

 襟を糺して清々しく国会議員の職務を全うして欲しいと願っていますが、この百年以上も前のマックス・ヴェーバーの言葉さえ耳を貸さずに、明日もまた「党に迷惑をかけた」と発言する国会議員が出てくるのだろうと思うと、ガックリ肩を落としてしまいます。
 1919年1月28日の講演の翌年1920年6月14日にマックス・ヴェーバーは亡くなります。その先に刻まれた悪魔の所業を知ることはないままに。
 一人一人が自由闊達に生きてゆける社会であればと心から願いつつ、時には100年前のマックス・ヴェーバーの言葉に耳を貸すのも良いと思っています。中嶋雷太

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