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マイ・ライフ・サイエンス(34)「汽水域」

 湘南・片瀬海岸に住んでいると、毎日汽水域を眺めることになります。「汽水域」と言っても、理科とか地理とかの教科書にあった言葉だと知ってはいても、すぐにピンとはこないと思います。この私も、昨年10月に長年住んだ世田谷から湘南・片瀬海岸に引っ越すまでは、この汽水域、つまり川が海へと注ぐ河口近くに住んだことがなく、数多くの皆さんと同じく、汽水域とは教科書で知った言葉でしかありませんでした。
 江の島の西へと下り相模湾へと注ぐのが境川という川なのですが、先日、強い南風が吹く大潮の日のこと。夕方から上げ潮になり、この汽水域にあたる川面を眺めていると、川が逆流するように、南から北へと上流に向かい波打っていました。
 「ほぉー」というのが最初に出てきた言葉で、そんなに深く考えずぼんやり眺めているだけでしいたが、ふと「あ、こうして、海の水と川の水が混じっていくんだな」となり、「そー言えば、ここは『汽水域』というのだったな」と、ここでようやく汽水域という教科書言葉が蘇ってきました。この数十年間というか、我が人生で一度たりとも、個人の日常経験のなかで使ったことのない汽水域という言葉を初めて使ってみたわけです。つまり、汽水域という言葉は、教科書言葉から私の生活言葉としてたち現れてきたわけですね。学校もマスメディア(新聞、ラジオやテレビ)もインターネットなどもない時代は、私たちは日常言葉だけを使っていたのですが、やがてマクルーハンの「人間拡張の原理」のとおり、人間は実体験できぬ情報をふんだんに得ることとなり、日常言葉とは異なる実体がともなわない言葉(ここでの教科書言葉)を膨大に知ることになりました。そうした実体伴わない教科書言葉的な言葉ですが、この無限にある教科書言葉が日常言葉になる感動はとても良いものです。
 なんだか、言語学の話のようになりましたが、これを「気づき」ととらえなおすと、自分の生活圏にある何でもない自然や出来事などを的確に表してくれる気づきは、とても楽しいものです。
 さて、この汽水域ですが、川の表面には淡水、そして川底には塩水があり、それを分かつところを塩水クサビと言います。比重の重い塩水が底に沈み、軽い淡水は川面の方にあり、この塩水クサビというところが区切りなわけですね。とはいえ、海の満ち引きや川の水の増水・減水などもあり、汽水域の淡水と海水は時に混じり合い、そこは栄養豊富なスープのようになり、植物プランクトンや藻類の繁殖に適していて、そこに集まる魚介類も豊富になります。
 ここで思考をさらに巡らせれば、視点が河口から上流の川上へと動き出します。湘南・江の島を河口とするこの境川を遡っていくと、全長約52キロあって、相模原市にある城山湖というダム湖にたどり着きます。その北西には高尾山があり、さらに奥多摩の緑豊かな山々が連なっています。
 山から海へと川が流れる、というのは小学校で習うお話ですが、湘南・片瀬海岸という河口近くに住み始め、これを初めて実感するとは思いもしませんでした。生きていると気づきがあるものです。
 水源豊かと言われる日本列島ですが、住む町ごとにその実感は異なると思いますが、一度立ち止まって考えてみるのも良いのかもしれませんね。中嶋雷太

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