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プロダクション・ノオト(4)
"note"に慣れようと、ここまで書き綴り、気づけばロシアがウクライナに鉄砲持って行く事態になっていた。あちこちチェックしてみたが、概ね、私は映画人だと発言してきた有名な方々は、おおむね静かなようだ。1980年5月の光州事件を思い出す。知人のK君たちと、京都の四条通りを、フランスデモをした。憤りしかなかった。そして、約40年少したち、ウクライナ。憤り=知性の基本という教育がなされずにきたのだろう。学校教育だけでなく親の教育も、喜怒哀楽という、知性を躍動させるための源泉である感性教育を知らず、教えずにきたのだと思う。理性の前に感性があるべきだと声を上げたのは、おそらくヴィーコだと思う。350年前だ。私はそこそこ褒められる監督になりたいとか、私は素敵だねといわれる俳優になりたいとか……それはそれで良いけれど、なんとなく、浅く薄いなと思ってしまう。例えば、森光子さんが亡くなったとき、後付けで泣いている数多くの人たちを見ていたときと似ている。森光子さんが、どのような戦中を生き、そしてそれをバネにして戦後を生きてきたのか。映画人だと言ってきた人たちは、おそらく忘れたのだろう。歴史は、一人一人の生き方という一本の糸で織られている。返す刀で、私も、私の身を斬る。そこから、素敵な映画を作る話ができるはずだ。知性の前に感性だ。中嶋雷太 https://kaytosea.studio.site/