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ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(38)「衣替えあれこれ」

 夏日がまだまだ続く10月中旬に、やってしまえ!とばかりに衣替えを決行しました。
 湘南の海を目の前にする日々、5月の連休あたりからこの10月中旬ごろまでは、Tシャツ、半パンにビーサンという、いたってシンプルなファッションが基本で、たまに東京で用事がある時は、綿パン、半袖のシャツにパンプス。少し涼しければ薄手のパーカーを羽織るぐらいでした。この、いたってシンプルな衣(ころも)生活を5月連休明けから約5ヶ月間続けているうちに、十数日の秋っぽい日々を飛び越え、東京では木枯らし一番が吹いたようです。二季ですね。シュリンクした秋冬用の衣服をシュリンク袋から取り出していると、過去十数年の間に四季が二季化したのに合わせてきたようで、私のワードローブは冬用の衣服ばかりになっていました。
 私が住む湘南・片瀬海岸での季節感を月ごとでざっくり区切れば、春(4月)→夏(5月〜10月)→秋(11月)→冬(12月〜3月)な感じで、日常の履き物は3月から10月までの八ヶ月間はほぼほぼビーサンだけとなります。冬はUGGかワークブーツでほぼことが足ります。
 実感として春と秋合わせ年間二ヶ月ほどしかないわけですから、この二ヶ月の衣服は合わせ技で凌ぐことになり、年がら年中、この合わせ技用の衣服がワードローブのハンガーに釣られています。よく使うのがパーカーで、今のところ六着のお気に入りパーカーが年中ハンガーに釣られています。冬になると流石に半パンは仕舞いますが、デニムパンツ、つまりジーパンもパーカー同様一年を通して活躍してくれます。
 こうして衣替えをしながらも断捨離を進めるのですが、衣(ころも)欲は衰えることがなく、春には冬の衣服を、秋には夏の衣服をディスカウントで購入するのが楽しくて、今は夏服系統をあれこれ探して楽しんでいるところです。せっかく断捨離したにも関わらず、プラスマイナスは0となり、いつまでたってもワードローブに押し込んだ衣服の量は変わることがありません。これは衣欲に侵され魅せられた人間のサガだと諦めています。
 日常生活用の衣替えに合わせ、サーフィン用の衣替え(?)もやらねばなりません。湘南の目の前に広がる海である相模湾は海水が滞留し易いようで、外洋に面した千葉や静岡や高知などの海岸の海水温よりは少しだけ暖かいのですが、11月も下旬になると海水温が20度を下回り始めるので、波待ちをしているときには手袋とブーツは欠かせません。そして防寒用のハット。インナーの上からウェットスーツを着込み、ブーツに手袋、そしてハットを被ると、遠目で見ればアザラシかオットセイのようになりますが冷たい海の中では仕方がありません。
 私の祖母は明治生まれで、彼女が生まれ育った京都では、彼女の衣感覚として24節句があったようで、半月ごとに着物を変えたりしていたように思われます。二十代で一時期とある月刊誌の記事を書いていたころ、祇園の舞妓さんの櫛や簪の取材をしたことがありますが、舞妓さんたちは24節句に合わせた櫛や簪、そしてもちろん着物も変えていました。
 布団一つとっても、プロ野球の日本シリーズが開幕するころに、祖母が知り合いの布団屋さんに綿打ちに出していたのを覚えています。綿打ちから戻ってきた布団の綿はふかふかで、冬用の布団のカバーになる布を縫う祖母の傍らで、日本シリーズの試合を見ていたのを鮮明に覚えています。
 時代は大きく変わり、四季が二季になってきましたが、それでも衣替えをしつつ、小さな季節の変化を楽しむ感覚が残っているのは、私たちの日常生活文化として育んでいきたいものですね。中嶋雷太

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