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私が書いた物語のなかから(1)「夏の終わりの空」

 毎週水曜日はプロダクション・ノオト(メタバース)を書き綴ってきましたが、ここで一度整理し、一冊の本になるように再構成しようと考えましたので、当面お休みさせて頂きます。
 その代わりと言っては失礼ですが、今日から、私がこれまで書いてきた物語のなかの様々なシーンについて、書き綴ってみたいと考えています。
 その第一回は「夏の終わりの空」についてです。
 「『今日はなんだか鳴き声が激しいな』。花が山の稜線に目を移したとき、流れる雲間からお盆の太陽が顔を出した。花はその強い光に瞳を閉じた。そのときだった。懐かしい声が聴こえてきた。『花、元気丼、作ろうか?』そうだった。あれは二人が貧しかったころだ」(「改訂新版・元気丼」より/改訂新版 元気丼 https://amzn.asia/d/dCPCAAb)
 この物語は……野球が盛んな漁師町・銚南で代々漁師を営む古鬼(ふるき)の家族。野球に憧れ挫折を抱えた古鬼家に嫁いだ花もまた、プロ野球に挑み亡くなった夫・雄一の夢をそのままに、母子家庭で育てた圭太を高校球児へと育て、遠く大阪の高校へと旅立たせる。古鬼家で代々食べられた「元気丼」を巡る、青春に野球を掛けた大人たちと子供たちの群像劇です。
 そのエンディングに選んだのが、夏の終わりの空、お盆を過ぎた夏の空でした。
 夫を亡くし、高校球児となった息子に野球の夢を託すために、花はスーパーで働きながらも、小さくとも懸命な人生を歩んでいます。テレビから流れ出る甲子園の応援歌も掠れゆく日々、花が夏空をふと見上げると、亡くなった夫の声がこぼれ落ちてきます。
 夏の終わりの空は、子供のころから好きで、何かを考えることもなく、何度も何度も見つめてきたように思います。そこに何かがあるわけでもなく、です。この「元気丼」は夏の話で書き始めましたが、エンディングをどうするか、悩んでいたとき、夏雲の隙間からカッと太陽が突然照りつけたように、はたとイメージが沸きました。まるで太陽神信仰のように、その自然が恵んでくれる生きるための何かだなというイメージでした。
 漁師町でひっそり生きる花という母親の、とても小さな心情と、夏雲と太陽という大自然を、繋げる言葉を探し求める作業はたいへんでしたが、視点を花へと戻して、ゆっくり考えていたとき、とても自然に出てきた言葉が「花、元気丼、作ろうか?」でした。
 お盆が終わり甲子園も終わり、夏が過ぎ去ろうとしていますが、花や花の息子、そして彼らを取り巻く人々の生活は、これからも続きます。たとえ、苦しくとも。今日も、ぼんやりと夏の終わりの空を、眺めてみることにします。中嶋雷太 #改訂新版 元気丼 https://amzn.asia/d/dCPCAAb)

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