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本に愛される人になりたい(102) 伊集院静「旅だから出逢えた言葉Ⅰ〜Ⅲ」

 私は旅が好きです。仕事でもサラリーマン稼業数十年のほとんどで国内外に出張する日々を過ごしていました。特に2000年以降は月に二、三度海外出張に出かけていました。ジョージ・クルーニー主演の『マイレージ、マイライフ』(2009年間米国公開)というコメディ映画を飛行機の中で笑って見ていましたが、その数年後に自分がまさかのミリオンマイラーになるとは思ってもいませんでした。(ミリオンマイラーになったからと言っても、それを賞する金ピカのタグが航空会社から送られてきただけでしたが)
 2000年から数年間はロサンゼルスに駐在していましたが、仕事でニューヨークやアトランタやモントリオールなど米国やカナダ出張、さらにロンドンやバルセロナやパリなどのヨーロッパ各地へも行くこととなり、時差ボケが一周回って元に戻るような日々を過ごしていました。さらに、まとまった休みがあれば、カリフォルニア州にある砂漠地帯や西海岸沿いのビーチや、サンフランシスコやシアトル、そして国境を超えモントリオールやウィスラーなどへドライブに行ったり、飛行機に乗って真冬のアラスカへ行ったり…公私ともども忙しい日々を過ごしていました。さらに、昨年10月に人生15回目の引っ越しをしたので、もはや、遊牧民の血が流れているのではないかとさえ思われてきます。
 本書『旅だから出逢えた言葉』に出会ったのは、そうした日々がかなり落ち着いてきた2013年のことでした。伊集院静さんの『美の旅人』シリーズや『夢のゴルフコースへ』シリーズが好きだったので本屋さんで手に取り、すぐに購入し読み始めました。
 そして、一番最初に現れたのが、私が好きなアーネスト・ヘミングウェイの言葉で、それだけで私はこの本にのめり込みました。
「どうしてパリに芸術家たちが集まるのか?それは芸術を理解する人々、つまり彼等を受け入れてくれる人間たちの力がパリにはあるからである。まだミロと同じように貧乏だったヘミングウェイはパリの印象をこう書いている。もし きみが幸運にも 青年時代にパリに住んだとすれば きみが残りの人生をどこで過ごそうとも パリはきみについてまわる なぜならパリは 移動祝祭日だからだ。」
 欧州を主にして国内外の様々な土地に行かれ、その土地で出逢った言葉を紡いでゆかれる伊集院静さんなのですが、たとえばこのパリ。私も数十回公私で訪れましたが、セーヌ川のポンヌフと呼ばれる橋やピカソ美術館、冬になると生牡蠣の屋台が出るサン=ジェルマン・デ・プレ近くのレストラン街、名もなき小さな映画館…などなど、その時々に感じたり見知ったりした、ある種強烈な心象風景が数々残っています。エッセイを書くプロの小説家である伊集院静さんは、言葉にするに難しい心象風景なりを、丁寧に咀嚼しつつ言葉に置き換えられ、本書を通じて読者の私に届けてくれました。
 第1巻の「あとがき」で、伊集院静さんは次のように語っています。「けれども旅は、思わぬ出逢い、思わぬ人の一言を耳にして、考えさせられることが数々ある。このエッセイはそういう旅で出逢った言葉なり、人の行動を書いたものだ。」
 ここで語られる思わぬ出逢いや思わぬ言葉は、旅であればあるほど、ぬくりと立ち現れてくるものだと私も経験上確信しています。昨日までの生活を明日も送っていれば良いとする方もいらっしゃるでしょうが、この肉体をまったく異なる地に置くことで、人間は新たな何かを感得するものだと思っています。
 この「あとがき」の後半で、何故人は旅をするのかと自問自答されるのですが、伊集院静さんは読者の私たちに次の言葉を語りかけてくれます。「この頃、人間は耳が、目が少し能力が落ちたように思う。ささやく声、決然の中にある言葉。人知れず生きているものに、然して私たちを支えているものに目をむける力さえなくなっているのではなかろうか。人間は自分のためだけにこの世に生を受けたのではないことは少し生きて行けばわかるはずである。」と。
 旅だからこそ出逢えた言葉は、おそらく旅人であれば誰しも見聞きしたはずでしょうが、そうした言葉に気づくか否かは、人それぞれの生き方にかかってくるようです。
 耳を澄まして聴いてみるだけでなく、心を澄まして聴いてみれば、旅で何かとっても大切な言葉が見つかるのではないかと思います。中嶋雷太

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