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ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(40)「まだ冬日はないみたいで…モヤモヤです」
先月となってしまった2024年12月。7回だけサーフィンを楽しむことができました。流石に12月になったので冬なのだと信じつつサーフィンを楽しんだのですが、晴天でしたし最高気温が10度を超えていたので、裏起毛のセミドライ・スーツだとポカポカ温かくて、なんだか肩透かしをくらったようでした。海水温は20度を下回っていたものの外気温よりも温かったのもあります。海の上より下の方が温かったわけですね。
昨年の9日15日付けでnoteに投稿した「マイ・ライフ・サイエンス」の第38話「暑熱順化と寒冷順化」に綴ったとおり、「気象庁によれば、『冬日は日最低気温が0度未満の日、真冬日は日最高気温が0度未満の日』のことを言うそうです。」と、なると、今日時点、つまり2025年1月8日になっても、私が住む湘南界隈はまだ冬日を迎えてはいないようです。正月が明けてもまだ冬日を迎えていないけれど、木枯らし一号はすでに吹いたから冬なんですけれどね。季節は冬なのに冬日はまだない。冬日のない冬です。冬なのに冬日ではない日のことを何日と呼ぶんだろうと余計なことさえ考えてしまいます。
この気象庁の定義は横に置き、サーフィンをする者としての実体験からすれば、セミドライ・スーツを着ていて足にはサーフィン用のブーツが欠かせなくなれば冬なのではないかと考えています。もしくは冬日ではないかと考えています。実感としてです。
そのように考えると、それぞれの地域で、それぞれの実体験上の冬(日)の定義があるのだろうと推察します。沖縄の那覇市のであったり、北海道の釧路市のであったり。
私が生まれ育った京都市内では、北山に微かな雪が積もり、北山しぐれという時雨が京都市中に降ると、冬(日)だなぁと思っていました。京都の冬は底冷えがするとよく言われていますが、マンションや最新の一軒家では分からないでしょうが、私の実家の一軒家では、まさに底冷えを体感できました。一階の部屋の床下から何とも言えない鋭い冷気がたち登ってくるわけです。底冷えがすれば、確実に冬(日)だなぁ、でした。この底冷えですが、私が思うに、京都盆地には元々湖があって、それが今や地下水脈となっていて、北風が吹けば自ずと豊富な地下水が冷やされ、その冷気が立ち上るのではと思っています。夏は逆に蒸し暑いのもこのせいではないかと思っています。
実体験上の各地の冬感覚があるけれど、気象庁の冬日や真冬日の定義からずいぶんかけ離れているのは仕方がないのでしょうが、「関東甲信越では…」と、天気予報で堂々と、そしてかなり大括りで真冬感を押し出されると少々困ってしまいます。長野や山梨や北関東の一部では大雪でしょうし、気象庁の定義どおり冬日や真冬日なんでしょうが…。
木枯らし一号が吹いたので冬の季節がやってきたわけですが、未だに冬日も真冬日もないので、なんだか中途半端な気分のまま、モヤモヤする正月明けとなりました。2月になれば、ガッツリと、ダウンコートを羽織り、ブーツを履き、手袋をしてニットキャップを被り…といった冬日や真冬日がいずれ訪れるとは思いますが、はてさてどうなることやら。
で、冬日や真冬日になっても海に入ってサーフィンするのだな?と問われると、それはそれ、弱気な私ではあります。おそらく、昼間はぬくぬくと部屋に篭ってPC仕事に励み、夕方になりご近所の居酒屋で熱燗を楽しむ姿が目に浮かんできてはいます。中嶋雷太