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本に愛される人になりたい(100)井伏鱒二「山椒魚」 

 この「本に愛される人になりたい」シリーズもとうとう第100話となりました。あっという間のことで、まだまだお話ししたい本がたくさんありますが、この記念すべき第100話で、どの本を取り上げようかと、珍しく慎重に考えていました。古今東西、私の人格の凸凹を形作ってくれた本が無数にあり、幼稚園児のころに読んだアンデルセンやグリムなどの童話から、昨日読み終わったケム・ナンの『未開拓地域』まで…。
 そこで、第100話のために何か視点を設定しようと考え、私にとり一番身近に感じた初めての小説とは何だったかをつらつら思い浮かべていました。その身近さとは、人格の調弦などまだ覚束ないころに、生きるための無数の弦に何かしら響いたような感じのもので、何作品か思い浮かべるなか、井伏鱒二の「山椒魚」が、子供のころのちっぽけだけれど切ない思い出とともにポンと脳裏に現れました。
 この「山椒魚」にはじめて出会ったのは小学校の国語の教科書で、教科書を通じて井伏鱒二という小説家がいて、「山椒魚」という短編小説を書いたのを知りました。
 国語の教科書に掲載されている小説や随筆などは、とっても生真面目で道徳的で、どちらかというと毛嫌いしていたので、この「山椒魚」をはじめて読んだときも、最初の印象は「なんだかなぁ…」という感じだったのを覚えています。このころの生真面目で道徳的なものに対する毛嫌いは、いまでもありますから、基本的な性格は変わってはいませんが。
 最初は「なんだかなぁ…」だった「山椒魚」という短編小説ですが、私の心のなかで知らず知らずのうちに発酵してゆきました。岩屋のなかで暮らしていた山椒魚は大きくなってしまい岩屋の穴から外に出られなくなります。何度も脱出を試みますが、徒労に終わるばかり。ある日、岩屋に入ってきた蛙を山椒魚は閉じ込めます。2年が過ぎたある日、岩屋のなかの杉苔が花粉を散らす光景を見て蛙は深いため息を漏らします。その声を聴いた山椒魚は蛙を解放しようとしますが、蛙はもう動けぬ身体となっていました。そして、この蛙は別にお前のことを怒ってはいないとつぶやきます。
 もの心ついたころから、私の心のなかには何か暗いものを閉じ込めたような嫌な感じの空間がありました。それは当初は豆粒ほどの空間でしたが、何をしていても、その空間は暗闇を宿しながら存在していて、私の自我が芽生え成長するにつれ、より大きくより頑ななものへと変質していくようでした。そして、その空間を見つめようとすると、とてつもない恐ろしさの波が押し寄せてきたのを覚えています。
 高校生になり、改めて「山椒魚」を読む機会がありました。手当たり次第に本を読む読書好きだったので、井伏鱒二の本を何冊か読んでいるなかで「山椒魚」を再読したのだろうと思いますが、高校生になった私はようやくその暗闇を宿した空間を見つめることができるようになっていました。
 「山椒魚」を再読した私は、その暗闇を宿した空間は、まるで井伏鱒二が描いた山椒魚と山椒魚に属する岩屋そのものだと気づきました。生真面目一筋の方ならば、山椒魚の行為や考え方は意地悪だとか自業自得といったシンプルな言葉で捉えられ、そのまま教訓箱に納められ蓋を閉じられるのかもしれませんが、私の心のなかにある暗闇を宿した空間に、山椒魚の行為や考え方は、遠くから聴こえてくる教会の鐘の音のように鳴り響いていました。
 「山椒魚のようになってはいけませんよ」が学校の教科書上だけの知恵ならば、「山椒魚のようだな」と気づくことは生きるためには必要な知恵だったのかもしれません。
 清廉潔白で優しくて純粋で繊細だと自覚する/させるのが最近の流行りです。その一方で、その暗闇を宿した空間にある何かを直視しようとするのは嫌なことですが、自身の山椒魚的なものに気づくことは、今となっては大切だったと思っています。人は自分の心にある汚れたものを見たくなく、清廉潔白で優しくて純粋で繊細なのだと信じこみたいものでしょう。けれど、その汚れたものも含めての自我だと気づいたとき、ハリボテのように薄っぺらい仮面をようやく脱ぎ捨てることができるはずです。
 この「山椒魚」を一番身近に感じた理由は、私の心のなかにいまでも存在する暗闇を宿した空間そのものが、この小説で描かれた山椒魚であり山椒魚と一体化した岩屋だったからです。
 人には正邪が混在し心の一部が混濁しているからこそ、人として存在しているのではないかとも思っています。その邪な部分、つまり暗闇を宿した空間を静かにゆっくりと見つめ続けられるかどうか。私が私として生きる、そして小説を「物語る」ためには、それは欠かせぬ作業だとも考えています。
 1898年(明治31年)生まれの井伏鱒二が「山椒魚」を世に出したのは彼が31歳になった1929年(昭和4年)のことで、世の中は15年戦争直前でニューヨーク株式市場で株が暴落し世界恐慌が起こった、激動の時代を迎えはじめた時期でした。その当時の空気感を保ちながら戦後に十代の私が「山椒魚」に出会ったわけですが、15年戦争を超え、平和といわれる時代であっても、人のサガと思われる心のなかの暗闇を宿した空間を見つめ直させてくれたわけです。
 ちなみに、1985年、『井伏鱒二自選全集』が刊行された際、彼はこれまでの「山椒魚」の結末にあった「今でもべつにお前のことをおこつてはゐないんだ」という言葉を削除しましたが、私は、この蛙との和解ともなんとも言えぬ結末が好きです。身体も動かぬ死を迎えつつある蛙にとっての岩屋に閉じ込められた日々は、どのようなものだったか。そして、山椒魚にとっては…。「今でもべつにお前のことをおこつてはゐないんだ」というセリフはどのように響いたのか。人それぞれの読み方により、様々な意味をもたらせてくれるものです。
 およそ100年前の1929年に発行された「山椒魚」の再読を繰り返すのも、そして再読するたびに私の心のなかにある暗闇を宿した空間を省みるのもまた、楽しい読書であることに違いありません。
 最後に、せっかくの第100回なので、苦言も少し。本が売れないのはスマホなどのメディアのせいだとか、そもそも本を読まなくなったからだとか、本の流通・販売の構造的な問題だとか…識者があれやこれやと議論されていますが、大型書店に行くと本として発行するに値する新刊本がどれだけあるのだろうか?と訝しむことが多くなりました。本が大好きな私なので1時間ほど新刊本をあれこれ手に取るのはまったく苦ではありません。宝物探しのようなら楽しさで満ち溢れています。ところが、この十数年というもの疲労感ばかりが募ります。時には「おー、これは面白そうだ!」ということもありますが。ただ、残念ながら、著作権期間を超えて読まれるような新刊本に出会う機会が、この数十年もの時間をかけて徐々に無くなってきたようです。一人の本好き読者として、そして物語作家として思うに、本が売れない責任を読者側にだけなすりつけるのは、いかがなものかと思う今日このごろです。
 さて、私の暗闇を宿した空間は、いまどうなっているのかですが、糠床のように何やら発酵している感じがします。河豚の肝を糠漬けにすれば美味であるように、何やら宝物が眠っているような気配がします。気の早い私は、その糠床にそろそろ手を突っ込んでみようかと考えています。中嶋雷太

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