苦しみから解放されるためには、どうでもよくなることが一番
どうでもよくなることというのは、諦めるということだったり、許せるようになるということ。
どうでもよくなるためには、放置するしかない。
長い時間をかけて、その苦しみの原因となっているものとの距離をとる必要がある。
最近やっとそう思えるようになったというか、
きっともっとずっと前から、漠然と頭の中では分かっていたことだったのだろうが、はっきりと認められるようになったとか、ちゃんと分かったとか、そういう状態になれたのはつい最近のことだ。
理解できるということと実践できるということは違うのだけれど。感情の部分が理解に追いついたとはまだまだ言い切れないのだろう。
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モヤモヤした気持ちというのは、大体の場合、無視していたとしても少し時間が経てばどうにかなるものだと分かってはいるのだが、
どうやら私は、モヤモヤした気持ちをずっとモヤモヤしたまま抱え続けることができない性分らしくて、
たった今もこのモヤモヤした気持ちをどうにかして清算したいと思うのだが、
どうにも上手く言葉にできないというか、
納得のいく形でモヤモヤを目に見える形にする(つまり、文字にするという意味なのだが)ことができておらず、消化不良を起こしている。
少し考えてみたのだが、何もかも全てを上手く吐き出してモヤモヤにケジメをつけるということはきっと難しくて、誰しも必ず、一抹の不安や消化しきれないモヤモヤを抱えながら生きていかなくてはならない場合が人生には存在するのだろう。
それは、考えに考えた結果、どうしても残ってしまうモヤモヤ然り、はなから考えたところでどうにもならないモヤモヤ然り。
だからきっと、私は今、無理にこのモヤモヤに手をつける必要は必ずしもないのではないかと思ったり。
私にとって、モヤモヤを解消すること=自分について、もしくは自分の人生について考えるということであり、
考えることをやめてしまうということは、自分の人生への責任を放棄してしまうことと同義であるような気が私にはしていて、
だからこそ、今、自分が抱えているモヤモヤから目を背けようとする行為に罪悪感を抱いてしまうというか、
そうしてしまいそうな自分を許せないような気持ちがなんとなくするのである。