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日々是好日
「介護日誌」は気まぐれで思い出したときにささっと書く。
「もう認知だから」とまだ自嘲気味に言えるほど、生活に大きな支障はなさそうな「要支援2」であるが、
何度も同じ説明させられるなぁ
料理するの面倒になるのにまた野菜買い込んだなぁ
裁縫セット買ってあげたのに、また「針貸して」って言われたなぁ
封筒に入れたお金なくしたみたいだなぁ など、
ちょっと心配だな、困るな、ということを最初は書いていた。
でも、うまくいっていることやできたことなど、あたりまえすぎて忘れてしまうようなことこそ意識して書くべきでは、と気づいた。
おかずを一品つくってくれた
近所の内科に一人で歩いて行けた
珍しく本を読んでいた
お風呂は週に何回か入っているようだ
美容院で長時間座って髪を染めてた など。
キッチンに数分立つことも、カートを引きながら外を5分歩くことも、なかなか負担な様子。
ヒトやモノの助けを増やしていかなければ、
だんだんできなくなっていくのだろう。
あの頃は、まだ美容院に行っていたなぁ
あの頃は、まだ料理できたんだなぁ
と、さかのぼって確認したくなる日が来るかもしれない。
その過程をあたたかく、かつ冷静に見守っていきたいと思う。
また、「穏やかだった」「ご機嫌だった」と書くことにも大きな意味がある。
だって、年に数えるほどだけど、「そうではない日」があるから。
そもそも、わたしは何かを数えて記録することが好きなのだ。
「機嫌が悪かった日って、月でたったの○日じゃん!年間たったの○日じゃん!」
そう考えればこの先も、「たいしたこと」はなく乗り切れるような気がするのだ。