「作るもの」と「創られるもの」 [20]
20.初代の教会誕生の経緯 [2]
弟子たちの取り組みは、初めてのことでありながら、さらに前進します。
新たにキリストの救いを信じてバプテスマを受けた大勢の人々と共に、
使徒の働き2:42-47
彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。
すべての人に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われていた。
信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。
そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。
弟子たちは、イエスから教会運営のノウハウを指導されたわけではありません。
弟子たちは聖霊に満ちたことによって、神の第一の戒めと第二の戒めの言葉から、神の御心を悟りました。
そして、そこに大勢の人たちがいて、弟子たちに関心を抱き始めたので、弟子たちは彼らを愛し、真理と福音を大胆に語り始め、信じた者たちにはバプテスマを授けました。
さらに毎日、宮に集まって、教えを継続し、交わりの時間を持ち、パンをさいて、神に祈りをささげ、喜びと真心をもって一緒に食事をし、財産や所有物も共有し始めたのです。
予め、イエスからそうするように指導を受けたのではなく、聖霊の働きにより、神の言葉から御心を見分け、御心に従った結果、使徒の働き2:42-47に記録されたとおりの取り組みとなったのです。
もちろんイエスは弟子たちに数多くのことを語りましたが、それらを含めて、最も大切な第一の戒めと第二の戒めの言葉の通りを、弟子たちは自主的に隣人愛を実践しました。
「教会だから実践した」のではありませんでした。
つまり、初代の教会の成り立ちは、神の言葉と聖霊の働きから始まったということです。
また、その言葉は、神の愛と隣人愛を物語っているので、弟子たちの行動も愛に基づいたもの、神の愛が動機だったのです。
弟子たちは何かのノウハウに従ったのではなく、神の言葉に基づく神と人への愛を動機として、これらのことを日々行い継続したのです。
そして神は、これらのことに対して、「主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。」と応援されていたのでした。
これが「キリストの教会」の始まりでした。