小さな私の大きな記憶 ~あの日の交通事故について~
私、実は交通事故に6回も遭っているんです。
1回は私と原付が、あとの5回は車同士の事故。
普通に「多いな」と思いますよね(笑)
今日はその中でも一番最初の、私が保育園児の頃、原付に轢かれた話についてお話ししたいと思います。
その朝 ~変わってしまった日常~
今でも、あの日のことは不思議なくらい鮮明に覚えています。
卒園間近のいつもと変わらない朝でした。
保育園の制服を着て、通いなれた保育園に向かう道。
すごく晴れた良いお天気の日で、門をあと数歩でくぐるというところでした。
小さな私は、まだ知らなかったんです。
この日常が、一瞬で非日常に変わってしまうことを。
衝撃の瞬間 ~二人の私~
「ごつっ」
最初に聞こえたのは、その音でした。
地面に倒れて、大きな声で泣いていたのは私なのですが、その様子を少し離れたところからじっと眺めているような妙に冷静な自分がいたことを覚えています。
今思えば、それは小さな私の脳が必死に現実から自分を守ろうとした、優しい防衛本能だったのかもしれません。
記憶の中の光景 ~大人たちの声~
周りはすぐに騒がしくなりました。
母が泣きながら私の名前を呼ぶ声。
集まってきた大人たちの心配そうな声。
救急隊員さんの優しい声かけ。
でも不思議と、救急車のサイレンの音は覚えていないんです。
頭を打った衝撃より、擦りむいた足の痛みの方が強く残っているのも、子供ならではの感覚かもしれません。
病室での日々 ~気づかなかった愛情~
病室に運び込まれた時の記憶は、ぽっかりと穴が開いたようにあいまいです。
気が付いたらベッドの上でぼんやりしていて
「あれ?いつここに来たんだろう?」
というのが当時の自分の気持ちでした。
でも、母がずっとそばにいてくれたことは覚えています。
当時の私は、ただ純粋にそれが嬉しかった。
実はそのころ、事情があって
①2つ上の兄
②同い年の従兄
③私
④2つ下の従妹
この4人を母が育てていたので、母を独り占めできること自体がものすごく珍しい事だったんです。
幼い私にとっては、怖い体験よりも母が付きっきりでいてくれる特別な時間の方が印象深かったんでしょう。
でも今、大人になって分かることがあります。
それは、医師から「脳内出血の可能性があります。覚悟してください」と告げられた両親の気持ち。
子供がいない私でも、その言葉がどれほど衝撃だったのかは想像がつきます。
そういう状況だったから、面会時間が過ぎていても病院に父が顔を出せていたのかもしれません。
激務の合間に、父が深夜にこっそり病室を訪れて私の寝顔を見ていたことを後から知らされて
「お父さんとは会えないのか」
とちょっとガッカリしていた記憶があります。
両親の深い愛情と心配を、当時の私は知る由もありませんでした。
その後の私 ~見えない贈り物~
この経験は、確かに私の中に何かを残していきました。
運転をする時、歩道に子供の姿を見かけると、必要以上に緊張してしまう自分がいます。
でも、それは決して悪いことではないのかもしれません。
そのおかげで、ふらっと飛び出す子供がいた時でも、すぐ停められる速度で走っていたので大事に至らなかったことが何度もあります。
「あんな突飛な子供の動きによく気づいたね」
助手席にいる人から何度も言われたこの言葉。
自分が被害者になったことがあるからこそ、今の私の安全運転に繋がっているのだと思います。
次回予告 ~大人になってからの5つの物語~
実は、冒頭でお話しした残りの5回の交通事故は、ここ数年の間に立て続けに起きた出来事なんです。
しかも全て、私は何も悪くない「10:0の被害者」という形での事故でした。
この経験を通じて、私は多くのことを学びました。
例えば事故に遭った時にすぐにすべきこと、知っておけば良かったこと、そして何より、被害者になってしまった時の心構えについて。
次回は、この5回の経験から得た教訓と、もし同じような状況になった時に知っておくと役立つかもしれない情報をお届けしたいと思います。
私の経験が、誰かの役に立てば嬉しいです。
良かったら、次回もお読みいただけると幸いです。