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夢を口にするので笑ってください。


#かなえたい夢 #目標 #趣味と仕事

 私には夢があります。それは、この記事の内容を見返した際、「口だけ達者な黒歴史」と振り返るのではなく、自分の礎となっていることを実感することです。

 私は将来、書籍の出版や編集の仕事に携わること、ひいては自分の書いた文章で読み手の方の反応をいただくことを目標にしています。書籍には、事実、フィクション、流行や政治的背景、ある方の境遇や価値観など人生の何生分もの情報や体験が記録されています。その記録には、希望、憧れ、やすらぎ、憤り、畏怖などの人の感情を刺激し、人を変える力があります。そんな力を持つ書籍を、責任感を持って生み出していきたいと思い、現在転職活動をしています。

 好きなことを仕事にすべきか、ということは長年議論されてきたことでしょう。これについて私は、結局人によるという無責任な回答を以って匙を投げてしまおうと思います。

 私自身、趣味を仕事にすることを何度も諦めようとしましたが、社会人として働いてみて気が付いたことがあります。好きではないことを仕事にした場合でさえも、休みの日まで仕事のことを考えてしまう性質であった私は、次第に好きなことをすること自体が後ろめたく感じるようになりました。うまく遊べなかったのです。そして何より、私が趣味としてきたものは、それを趣味とみなした時点で、「質はともかく気分転換になればよい」という思考に陥り、とたんに進歩がなくなってしまうのです。

 言い訳、逃げ道を探すことが得意な私は、自分が本当にかなえたいことに対して向き合わないための、もっともらしい理由付けばかりしていました。
一度仕事に全力を尽くせば、自分の気持ちに蓋をしても何も感じなくなりました。かといって仕事をおろそかにすれば、その仕事に対する向き合い方に納得がいかず、かえって休日の時間を仕事に充ててしまうようになりました。忙しければ余裕がないから今はすべきではないと逃げ、時間があれば他にもっとすべきことがあると逃げ続けました

 私は臆病者だったのです。すべきだの、すべきでないだの、自ら生み出したハリボテの道徳観に縛られ、「自分は何のとりえもない人間です、高望みはしません」とへこへこしては、自分を裏切り続けました。人から笑われないように、自分の望みを隠すことに必死にエネルギーを使っていました。その末にあったのは自信を失うだけの日々でした。

 人から笑われるということは、その人の目からみた私とその目標に大きな乖離があり滑稽に見えるからです。とても悔しいことですが、相手の想像の範囲内には夢を実現した自分の姿がまだ映っていないということを知ることもできるので、指標として有用な場合もあります。

 おそらく、今の私を笑う人はいないでしょう。世界の99.99999%以上の人が私のことを知らず、ただ無関心であるからです。現に私は、世界中には今も辛酸を舐めながら努力している尊敬すべき方々がいるのだという漠然とした事実を知りつつも、その方たちがどこに、どんな気持ちで日々を懸命に生きているのかについては全く知りません。たとえ知りたくても、全員について知ることは不可能です。世間が私に対して無関心なのもあたりまえです。そういうものです。そう思えば、自分の周りの、世界の0.00001%の人に笑われても屁でもありません(実際はやっぱりちょっとこわいけど)。

 私は現在、目標をかなえるため、転職活動をしつつ、本や映像作品に触れ多様な価値観やものの捉え方があることを学んでいます。まずは自分の望みに正直に、その気持ちを意思表示していくことで笑ってくれる人を増やすことから始めたいと思います。

ここまで読んでくださった方がいましたら、本当にありがとうございました!




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