命の尊さを知り、命を掛けて娘を育てる決意をする。
スーパードクターの神の手のお陰で
娘は命を助けて頂きました!
ホッとしのも
束の間、、、。
そこからが生きる事は
とても
とても
大変でした。
この世で生きる事は
試練の連続でした。
心不全や、
脱水など
何度かの入院、
救急外来への繰り返しでした。
それでも入院生活よりはと家で育てる事の意思は変わりませんでした。
ちょくちょく入院したが、
そこで楽しい事もありました。
同じ時期に入院していた
同年代のお友達が2人できたんです!
それぞれ心臓の難病でしたが、
精一杯生きてる姿に勇気をもらいました。
みんな長女(初めてのお子さん)で何もかも初めてのママ同士。
一瞬で心の友になれました。
退院してからも3人で
会っては遊びました。
それぞれお友達がいなかったので、
とても良い時間を過ごし、
ママ同士も明るく励まし合っていました。
が、
次々とお友達は
天国に旅立ちました。
(3歳と6歳)
辛い悲しいお別れをしました。
3歳のMちゃんのお別れの時。
何も分からない娘は
亡くなって動かない
お友達にお別れを言いに行った時に、
お揃いのピーターラビットのうさぎさんの
ぬいぐるみをプレゼントしました。
今での娘の部屋に飾られています。
Mちゃんのママも大切にお家に飾ってくれています。
「Mちゃんなんで寝てるの?
起きてよ!
遊ぼうよう」と
声をかける
姿に周りが涙しました。
同じ悲しみと苦しみを一緒にしてきたママ同士は
今でもしっかり心と心が繋がってかけがえのない存在です。
もう1人の友達Sちゃんは小学校入学を楽しみにしていた時。
それは突然の出来事でした。
とても不思議な出来事がありました。
Sちゃんが急変し
必死で頑張っていた時に
娘も原因不明の高熱で
うなされていたんです。
ママは亡くなると1番に
私に電話してきて
「死んじゃったよー
S頑張ったけどダメだったよう。」
一緒に大泣きしました。
今でも思い出せば涙が止まりません。
その時の声が
私の脳裏にしっかりと焼きついて残っています。
悲しみと共に、、、
Sちゃんのご両親は
その後お子さんを作る事はしませんでした。。。
今もピカピカのランドセルと勉強机は
そのままでSちゃんといた
小さなアパートに暮らしています。
ご両親の悲しみがどれだけ深かったのか、、、
2人の分も娘を生かし育てなくてはと使命感が生まれました。
今でもママ達時々娘の様子をみては泣いてしまっています。
お誕生日にはメッセージをくれます。
命の尊さ重さを
娘の存在や天国へ旅立った
Mちゃん、
Sちゃんを通し、
実感し、
私は命をかけて娘を育てると決意しました。
そして、強くなっていきました。
病室でメソメソ泣いていた頃とは別人です!
すごい成長!?
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しかし、
現実は大変でした。
一時期こども病院に
13科
お世話になっていた時もありました(O_O)
①染色体遺伝科
②内分泌科
③循環器科
④心臓外科
⑤外科
⑥整形外科
⑦アレルギー科
⑧形成外科
⑨歯科
⓾皮膚科
⑪耳鼻科
⑫脳外科
⑬眼科
(どんな症状でどんな治療をしたか、後ほど1科事ご紹介させてください。)
免疫もなく、外出は病院のみの生活でした。
だからお出かけは
こども病院に大忙しでした。
病院におしゃれして通いました。笑
「今日はどこの科なの?」
なんて看護師さん達にも言われるほどの
常連さんでした。
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そんな環境でも
娘は小さいながらも
笑顔の絶えない素敵な娘でした。
お歌が大好き。
ダンスも大好き。
トトロが大好き。
絵本も大好き。
我が家の犬のハチ君と
猫のパルちゃんとも仲良し。
たくさん遊んでもらいました。
近所のお姉ちゃんお兄ちゃん達にも遊んでもらい
穏やかに楽しく暮らし始めた矢先、
大きな事件が起きました。
その後
私の生まれ育った家土地を去る事になるのてす。
続く、、、。