テトペッテンソンと美徳

 ある程度世代が絞られてしまうかもしれないけど、皆さんは名曲「テトペッテンソン」をご存知ですか。
 と、言いながら調べたら、自分の歳とNHKみんなの歌の放送期間が数年ずれているのでやっぱり奇妙なこだわりを持った先生だったのかもしれない。
 タイトルの「テトペッテンソン」と「美徳」の二つは自分が小6の時の両隣のクラスの宗教を表す言葉である。私の学年は3つのクラスに分かれ、私は間の6年2組であった。担任の先生は3クラス中恐らく1番ベテランの女性の先生であった。
 もう何年も経っているので実感が先鋭化してるところもあると思うが2組が1番普通の小6だった。女子の方が普通に大人びていて、男子はうるさくて幼稚だった。担任の先生は母のように温かく、そして怒らせたら怖かった。
 というか、両隣のクラスがおかしかった。3組の担任は元気そうだけど、どこか影のありそうな男の先生で、朝の歌か帰りの歌か、どっちか忘れたけど「テトペッテンソン」を歌わせていた。選曲が3組の生徒であったのならばそいつと今一度会ってみたいが、その先生が選んだのだと思う。「テトペッテンソン」はスイスの楽曲をもとに作られた歌だが言葉の意味はわからない。歌詞もシュールなのだが、これに合わせた映像も直方体が動いたりするだけのとてもぶっ飛んだものなのだ。
 3組はほかにも教室内に独自の本棚を設置しており、これまた恐らく担任の先生のチョイスによって何やら愉快な本が置いてあった気がする。そんなこんなで我々2組からすると3組の生徒はみんな自分のクラスの面白さを鼻にかけているように見えた。実際はこっちが勝手に楽しそうで羨ましいなと思っていたのだろうが。
 一方、反対の1組の担任の先生は「美徳」という宗教でクラスをまとめていた。この先生の言っていた「美徳」がそのままいわゆるキリスト教などのいう七つの徳目のことであったか実際のところ布教されていないのでわからない。一人一人がその美徳の中から何かしら選んだものについて、具体的な目標を定めていたようだ。担任の女性の先生も気品あふれるオーラを纏っていたし、それに統率されている生徒達もほかのクラスを見下すような雰囲気を放っていた。こちらも実際にはこっちの勝手な被害妄想かもしれないが、少なくとも得体の知れない「美徳」に恐怖を感じていた。
 その間に挟まれ僕たちはのびのびと育った。
 小学校の卒業アルバム。各クラスのページには自分達で編集して書き込めるページがあった。2組ではクラスの座席表風に名前を配置して、その人の長所(褒め言葉)を書くことになった。字がきれいな人、足が速い人、面白い人。たぶん率先して編集をしていた子たちが一生懸命考え抜いてバリエーション豊かに書いてくれた。
 楽しみにアルバムを開いた。〇〇くん、声がデカい。
 3組の連中よりも面白く、そして1組の連中よりも賢く、両隣の変な宗教に負けてたまるかと勝手に対抗心を持って過ごしていた。そんな僕が一番うるさいだけだった。
 この原体験により僕のこの後の学生生活が方向づけられたのかもしれない。
 
 

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