明星とロッシーニ
山形県は米沢市、松尾芭蕉の「五月雨を」の句でも有名な山形を縦断する最上川、その上流に位置する松川と呼ばれる川に臨むところに、そのラスボスが住んでいそうな魔の巣窟が存在する。
その名はグルメプラザ「金剛閣」。悪魔の正体は地元の名産米沢牛だった。「金剛閣」は株式会社米沢牛黄木が営む飲食店の複合施設で、4階建てのビルの2階に焼肉店「黄木」、3階にしゃぶしゃぶやすき焼きを扱う和食の料亭「毘沙門」、そして最後の間4階にステーキレストラン「明星」が我々を待ち受けている。
明星と聞くとチャルメラを思い浮かべる人が多いのかもしれない。ちなみに私はチャルメラ育ちで、いくら新しい麺が開発されても、インスタントラーメンといえばあの味に帰りたくなる時がある。
チャルメラの話はさておき、今回は私の脳裏に刻まれた明星(あかぼし)での衝撃を述べておきたい。それは、小学生のときに味わったロッシーニのことである。
みなさんにもあの時に食べたあの料理の味が忘れられない、という記憶がいくつかあることだろう。私の舌と性格の悪さに少なからぬ影響を与えたかもしれないのが、明星で食べたロッシーニなのである。
ここからは半ば鼻につくような思い出話なので覚悟をもって読んで頂きたい。
あれは恐らく小3か小4の冬だった。まだ兄が中学生ではなかった気がするのでそのくらいだったと思う。私の家族はクリスマスディナーとして明星でコースを食べることを予約した。
当日、雪がしんしんと降る米沢の街を進み、魔の巣窟にたどり着いた僕達。4階の明星へ通されると8人で囲む長机に陣取った。まずはドリンクメニューを勧められる。
子どもの頃はジンジャエールがかっこいいと思っていた。家ではファンタやCCレモン、三ツ矢サイダーぐらいしか見なかったから、ジンジャエールはこういう店で飲むもんだと思っていた。
そうして既に上品な気分になってた我々に得体もしれないアミューズがやって来た。それは卵の殻に入れられた和え物で、ゆで卵とキャビアと何かが混ざっていた。まずその段階で僕の舌は未知との遭遇を果たす。その頃には既に世界三大珍味という言葉は知っていて、キャビア・トリュフ・フォアグラに並々ならぬ興味を持ってはいた。でもそれは普段暮らしてる米沢の食卓からは遠く、いつか食べたいなぁとぼやっと思っていたぐらいだった。
その一つ、キャビアが初手で、しかも卵の殻を使った容器に入って出て来た。これがフレンチか。幼い僕は完全にシャレた食事に魅了された。
その後も恐らく順序よくポタージュスープなどを楽しんだと思う。そして、ついにメインのあいつがやって来た。
知らない横文字「ロッシーニ」。米沢牛のステーキの上にフォアグラが乗っていて、そこにトリュフを刻んで練られたソースが添えられていた。
お料理を出したスタッフが皿の上の重なりを説明する。なんで乗っけるの?フォアグラを米沢牛に?しかも乗せると知らない外国人みたいな名前になるの?進化ボルテックス?太陽王ソウルフェニックス?
何もかもが衝撃だった。この年齢で受容しきれる料理ではない。これは18禁なのではないか。そう直観が告げていた。
ナイフで真上からフォアグラと肉を断ち、両方をうまくフォークに刺して口に運ぶ。うんま―!そしてトリュフやばっ!やはり小学生に語彙はない。
自分で食すと同時に、自分より二つ下の弟が同じものを食べてることが妬ましくなった。俺より2年も早くこいつはこれを食べてる。成長が怖い。
対戦はあっという間だった。あー腹くっちい。家族で幸せなクリスマスを過ごすことができた。
この時の幸福が忘れられず、僕にとって明星は憧れだし、幸せな食事ができるお店だと記憶している。
ロッシーニが作曲家の名前だと知ったのはずいぶん後のことで、当時の僕はこの年齢で三大珍味を制覇したぞということでどこか得意げになっていた。そういうところで食に対して性格の悪さが出ていたかもしれない。
あれから18年、今年の2月に実家で親族だけで僕と奥さんの挙式を行った。その後両家の親睦を深めるためにも宴席を設けたが、そこで使わせて頂いたのも金剛閣である。
家族のお祝いや団欒とともにあり、自分にとって大切な場の一つといっても過言ではない。これからもこの魔の巣窟に何度も囚われることになるだろう。
ぜひこの記事を読んだみなさんにも、米沢にお越しの際は、金剛閣という魔の巣窟に挑んで頂きたい。