春と盆暗と

 2024年11月に熊倉献さんの単行本「春と盆暗」の新装版が発売する。今回新たに書き下ろされたものも載るようだし、自分にとって大事な一冊なのでもちろん予約した。
 ちょっと当時が懐かしくなったので、連載された当時のことと、少し感想を述べようと思う。
 「春と盆暗」の第1話「月面と眼窩」は2016年9月下旬発売の月刊アフタヌーン11月号に掲載された。熊倉献さんの全4回の短期集中連載として、1話ごとに別々の「盆暗な僕」と、なんか不思議で気になる女の子とがボーイミーツガールする話が繰り広げられるという。
 まず引き込まれるのはそのタイトルだ。「盆暗」という表現はあまり使われなくなってきたが、デジタル大辞泉によれば、「ぼんやりしていて物事の見通しがきかないこと。また、そのような人や、そのさま。」ということで、ちょっと間の抜けた、ぼやっとした人を指すのだろう。
 普段私を知っている人がどう感じているかはわからないが、何かしら不器用な自覚があるし、盆暗という青年像が当時の自分に重なるような気がして、とても興味が湧いた。
 そして「春」、ボーイミーツガールが描かれるということを端的に表す。青春の春である。
 当時の自分は大学3回生の夏を終えた頃だった。その年の夏には人生で初めて海外旅行に行った。行き先はポーランド。NHKで放送された「新・映像の世紀」に感化されたのもあり、アウシュヴィッツ強制収容所に行かなきゃいけないと思った。あういうことが現実として起こったのだと肌で感じなきゃいけない。そんな青い平和への気持ちと、東欧は安いという話と、親しい友達が先に海外旅行をしており、それに合流できて歩き方を教われるということもありポーランドに飛んだ。
  あまりポーランドの話は関係ないのだが、とにかくそういう多感で一番モラトリアムを満喫している時期だった。大学にも気になる人がいたし、何か運命的な出会いを待ってもいたのかもしれない。そんな時にこの漫画と出会った。
 そして、漫画の話に戻ろう。第1話「月面と眼窩」を読んだ時の衝撃たるや。主人公がバイト先で出会ったサヤマさん。モヤモヤした時は月面を思い浮かべて道路標識を投げる。その突拍子もないワードセンスと、月面に道路標識が刺さった超現実的な画が私の琴線に触れた。二人の会話が絶妙で、とても素敵なのだ。最後はスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」で終わる。そこもSF好きを狙ってる感じが憎い。
 第2話「水中都市と中央線」はカラオケ屋でバイトする主人公と来店する女の子の話。第3話「仙人掌使いの弟子」は中学生の男子2人が親戚のお姉さんの弟子になる話。一つ一つの話どれも秀逸なのでおすすめなのだが、特に好きなのは最後の第4話「甘党たちの荒野」だ。これを読んで私は肩パンされたいなと思った。ぜひ読んで頂きたい。
 熊倉献さんの漫画の面白いところは現実から空想へと簡単に行き来するところである。そして空想の表現力が抜群に優れている。それはこの作品だけに限らず、後の「生花甘いかしょっぱいか」、「ブランクスペース」、そして「紙魚の手帖」などで発表されている短編にも一貫して表れている熊倉さんの強みである。そして絵のタッチが空想との軽やかな行き来を可能にさせている。見ていて気持ちのいいかわいい画である。
 早く発表されている短編も単行本が出ないかなと期待している。今後の活躍を応援して止まない大好きな漫画家さんの一人である。新装版も楽しみだ。

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