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つじつま
いま深夜の地上波でもやってるRewriteってアニメがくるとこまできてて面白いんだけどそれをニコニコで見てておもったのは、ぶっちゃけアニメでも映画でも小説でもコントでも演劇でも「つじつま」なんかどうでもよくて、「荒唐無稽の向こう」に「何を見せてくれるのか」が大事なんだよなあということ。
それを見せられなかった、もしくは感じることができなかったものに対して「つじつまがー」と言っているだけのこと。
つじつまがある程度許容(無視)される「音楽」ですら、さいきんはそれが許容されなくなってきている気がするけど。主に「道徳」的な意味で。
そもそも現実だってつじつまなんか合ってないでしょ。その意味では、(ここは詳しく言わないと伝わらないけど)「すべてが必然」なんか嘘で、むしろ「すべてが偶然であることをどう受け入れるか」のほうが自分に合っている。
具体例を言うと、たとえばこのRewriteっていう「萌えアニメ」を「オタク」が流す「コメの嵐」が吹き荒れる動画で見る、っていうことが「萌えアニメ差別」やら「画質厨」やら何やらの意味で受け入れられないひとは、新しいことがどういうことか、作品っていうのがどういうものなのかについての理解が狭いんだろうな、ということ。
そういうひとたちは、ポップでキャッチーでウェルメイドで折り目正しく一体感のある数字や規模が大きいもの、言い換えれば、何をすれば100点満点を取れるかがわかっているもののなかで優等生になればきっと満足なんだろうな、とおもう。