一度きりの大泉の話
「一度きりの大泉の話」
これは…。
70年代、前の家のお姉さんが読み終わった漫画雑誌をくれて、マーガレットも少女フレンドも少女コミックも読めた。小学生の時はなかよしとりぼんを妹と買っていた。三原順に傾倒し花とゆめも読んだ。
だいたいの有名少女漫画は通過している。
個人的にはBLを好まないので、竹宮惠子はきれいな絵を描くなあというだけで終わったが、萩尾望都は妙にハマった。SF、ブラッドベリが好きなこともあったけれど。今思うとわかる。萩尾望都は少年愛を描こうとはしていなかったのだ。
なんとなく昔から、竹宮惠子は姫川亜弓、萩尾望都は北島マヤという気もしていた。
おそらく「少年の名はジルベール」も読まないと公平ではないのだろう。そしてこんな重いものを読んでしまっていいのだろうかとも思った。だがここに書かれているように、「萩尾先生がいいと言うなら」対談もドラマ化も受けると竹宮先生が言われているのなら、それは、絶対に無理だとどこかで言わねばならなかったのだろう。書かれているように、どうか周りも、そっとしておいてほしい。
そして。私も浅はかな人間なので、相手を傷つけて修復できなかったことがある。それはもう、ほどけないのだ。時間が経ったから赦してね、とこちらが言うことではないのだ。対話さえ出来ぬこともあるのだ。
そんな個人的な思い当たりも含めてズシリとくる読書だった。
萩尾望都は天才だ。この間まで連載していた「王妃マルゴ」は読んでいたし、再開した「ポーの一族」も間を置きながら読んでいた。まだまだ現役だ。
天才は業火を背負う。しかしながら我々凡な受け手の下世話な干渉をくぐり抜け、今しばらく萩尾先生がお元気で描き続けられますように。
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