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マンガみたいに自分の個性(キャラクター)を貫いて愛されたい?目を覚まして下さい

マンガのキャラクターが魅力的に見えるのは「神の視点」だから

 皆さん、マンガは好きですか?マンガで考えるのが一番わかりやすいと思うのですが、あまり好きではないなら小説でも映画でもドラマでも良いですから、何らか貴方が好きなお話に出てくるお気に入りのキャラクターたちを思い浮かべて下さい。

 そのキャラクターはどんな個性の持ち主ですか?非の打ちどころも無いほど完璧なのは極めてまれだと思います。完璧なキャラクターの大活躍が続くだけでは退屈で、共感しにくいでしょう。

 むしろ、どちらかと言えば長所よりも欠点が多く挙がるようなキャラクターがお気に入りだという人の方が多いのではないでしょうか。

 欠点とはどんなものでしょうか?生意気、ごう慢、向こう見ず、異性関係がだらしない、無神経、不愛想……。色々あると思います。

 どれもあまり良い印象を持たれないように見えますが、なぜ貴方はそのキャラクターが好きなのでしょうか?物語を通じて、そのキャラクターの誤解を招くような言動に隠された真意や、内に秘めた熱い想いなどを「神の視点」で見届けてきたからでしょう。

だけど現実世界にその感覚を持ち込むのは危険

 一方、これが物語ではなく現実だったらどうでしょう。貴方がそのキャラクターを「神の視点」ではなく、作中の同僚Aや同級生Bとして接した一側面しか見ることができなかったとしたら。

 わかりやすい例として「SPY × FAMILY」で想像してみましょう。同級生から見たアーニャ、役所の同僚から見たヨル…。「何を考えているのかわからない危険な人」としか見えないわけです。

 長くなりましたがここまでは前置きです。

 理解に苦しむかもしれませんが、マンガのキャラクターと同じように、自分の長所も欠点もすべてむき出しにして、ありのままの自分で皆に愛されたい!と思っている人は現実に存在します。

 これは危険な考え方です。自分の欠点を隠すどころか変人アピールしているようにすら見えるので、傍から見れば奇妙です。

 悪い言い方ではありますが、いわゆる「オタクのノリ」みたいに捉えられ敬遠される、妙にテンションの高いふるまいが起るのは、実はそのような「ありのまま」願望が働いているからではないでしょうか。

現実世界ではむしろ気取って良い

 現実世界では「神の視点」で人を見ることはあり得ず、お互いのいくつかの側面を見せ合うことにしかなりません。

 人に対していきなり自分の「ありのまま」を見せようとしてもかえって奇妙に見えるだけですから、むしろ普段はできるかぎり気取ってみせてはいかがでしょうか。

 こう言うと「自分を偽るのは嫌だ!」と反論する人もいますが、それこそ「まずちゃんとできるようになってから文句を言え!」と言うところです。

 あえて「気取る」という言い方をしましたが、要は「礼儀をわきまえる」ことだと言えます。第一印象が悪いとばん回するのは非常に困難ですから、普段から感じ良くしておくに越したことはありません。

 一方で、長く接していれば「意外な一面」というのはどこかに出てきます。その中で時々デリカシーに欠けるような言動が出たとしても、既に充分な信頼関係ができていれば「ああ、悪気はないんだろうな」と理解してくれるでしょう。

 その他、例えば鞄の中から不似合いに可愛いキャラクターグッズが出てきた、近づくことすらできないくらい犬を怖がる、驚くほど音痴、などの意外な一面が出てきたとしても、良好な関係ができあがった後であればそうしたところもかえって愛らしいと思ってもらえるのではないでしょうか。

あせらず丁寧に物語を作る

 貴方が今まで「惹かれる」人ではなく「引かれる」人だったのは、貴方が「オタク」だったからではなく、距離感を間違えていたからです。

 優れた物語は起承転結がていねいに繋がっています。描きたいこと全てを冒頭にいきなり詰め込んだら、物語は破綻し後が続きません。

 人間関係も、いきなり「ありのまま」の自分をわかってもらおうとするのは無茶です。心を開き感じ良くしつつも多くは見せない方が、どこかミステリアスな雰囲気になり惹きつけられるのではないでしょうか。