アンパンマンこそ真のハードボイルド
自主隔離の世の中
2020年。第一回目の緊急事態宣言下。出社停止になったが在宅勤務の準備も整わず自宅待機となった。
独り暮らしの狭い部屋でやることもなくじっとしていると、別に感染したわけでもないのに自主隔離のような気持ちになってくる。やることもないが感染状況が気になるのでネットニュースを開く。
「どこにも出かけられないのは辛いけど、良い面に目を向けるとすれば、家族と共に過ごす時間が増えた、という声もよく聞かれます。」
ほう、それは結構なことですな。白けた気持ちで服を着替え、「屋外は密閉ではないので安全」と信じてランニングに出かける。時間と体力が余っているので20kmを超えていた。
家に帰ってまたネットニュースを開く。
「家族の絆が深まったという声が聞こえる一方で、家族全員出かけられずずっと家に一緒に居て気づまりになり、けんかが増えたという声も増えています。」
独りでいれば孤独が辛い。家族といれば気が詰まって辛い。息苦しい世の中になったものだと思った。
空っぽになった人間は
午前中はダラダラと遅くまで寝ていて、昼過ぎからランニング。そして夜は、ネットの動画配信でハードボイルドな映画やドラマを観ていた。特にこの時期はまったのが、妻を失った公安の警官(西島秀俊)と、兄の仇討ちに執着する殺し屋(池松壮亮)との因縁を描いたドラマ「MOZU」。
決して彼らのように壮絶な体験をしてきたわけではないが、「お前は空っぽなのか?」という言葉が、この時の自分の心の中を現すには合っているような気がした。
アンパンマンの孤独
一回目の緊急事態宣言が明けた後、当時の職場は部署の人員を二班に分け、それぞれ1週ごと交互に在宅勤務と出社を入れ替えて人口密度を半分にするという運用になった。
今でこそ在宅勤務でも快適に操作できるが、当時は急拡大したリモートアクセスのインフラ整備が追いついておらず、自宅から会社のパソコンを操作する時の処理の遅さはかなりストレスだったのだ。
職場にて、久しぶりに会った同僚と、自宅待機の間はどのように過ごしていたかを話していた。私はMOZUを引用してその時の気持ちを語った。
「孤独に苛まれた独り身は心が空っぽになって、憎しみと苦しみを抱えて生きていくんだ。俺やあんたのようにな。」
「なに?憎しみと苦しみだけが友達やと?愛と勇気だけが友達のアンパンマンと真逆やな。」
「つまりバイキンマンか俺は。」
「かもな。せやけどバイキンマンにはドキンちゃんがおるから独りやないやろ。」
「尽くしても振り向いてもらえてへんやん。」
「いやいや、結局ドキンちゃんはバイキンマンと一緒におるがな。あれは共依存やな。」
「それは愛情なんか?」
「うーん…。見方によっては。すくなくとも孤独ではないやろ。」
「まあ、な。」
「俺から見ればアンパンマンの方が孤独に見えるで。」
「なんでやねんな。多くの仲間に囲まれてるやんけ。」
「いやいや、周りの人間は仕事上の付き合いか、守るべき対象かのどちらかやろ。信頼関係はあるかも知れんが、気を許せる相手はおらんのちゃうかな。」
「ええ、そうかな…。」
「アンパンマンは使命感が強すぎて、自分は死んでも構わんとでも言うような無謀な戦い方をしとらんか。」
「それはまあ、顔を交換すれば生き返るしな。」
「『僕の顔を食べなよ。』とは何事や。カニバリズムか。」
「あかんあかん!やめとけ!」
「あいつは言葉通り、自分の心の中にある愛と勇気だけが友達なんやろな。ヒーローは弱さを見せることさえ許されん。孤独なんや。」
「うーん、そうかも知れん。」
アンパンマンこそ真のハードボイルド。