「皆んなに良い顔をする」から解放される。
私は皆んなに良い顔をする。
良い顔をする事が仕事、だと思ってやってきた。
それはそれなりに神経を使う事だったけれど、
ずっとデフォルトだったので難なくやれていたつもりだった。
のに。
ある時期からひどく疲れを感じるようになって、必要以上に人と関わる事が億劫になっていった。
社会というものはほとんどが「人との関わり」でできており、
できる事なら避けたい、辞めたいという思いを募らせながらも、
生活を維持する為止めるわけにもいかず、
いつからか慢性化した持病の偏頭痛を薬で黙らせながら、
もれなく私も人との関わりを通してお給料をいただく仕事を続けていた。
私は大して何も特別なものを持っていないのだから、
この疲労と引き換えにお金を頂くのだ。そのプロなのだ。
顔色伺いのプロとしてお給料を頂いているのだから多少の疲労は仕方ないと、そんな認識を持つ様になっていった。
「皆んなに良い顔をする」という事を少し深掘ると、
そこには「良い人でいようとする」というのがある。
私にとっての良い人とは
「嫌われない人でいる事」であり、
つまり嫌われないようにずっと生きてきたんだ。
好かれたい、というのとはかなり違う感覚、のように思う。
そう、別に、「人から好かれたい」とはあまり思わなかったな。
急に頭に言葉が浮かんだので、久しぶりに書き出してみた。
どこかと繋がって書かせてもらう、あの感覚だ。
*
心に従っていれば、それがいちばんの幸せの近道。
何も恐れずとも離れてゆかない。
自分のものとなり(次の言葉読み取れず)
恐れずに行け
その上楽しい事をするのがいい
楽しい事のその先には夢の(ここも読めない)待っている、
迷わず行けば良い
そうする事で許される
私は許されないと思う心から解放される
*
突然何言い出すの?と思うかもしれない。
私は時折、自分の中?外?(厳密にはわからない)に、
質問をすると答えてくれる存在がいて、
その答えが自分の考えではない、
と思う決定的な根拠は、
その答えがいつも私の想像を遥かに超えた答えだという事。
自分では絶対に出てこない言葉であり、
それは、書いている時に突如ペンに乗る様な感覚。
書くのと同時に言葉が浮かんでくるので、
時々ペンが追いつかず、後で読み返して見ると読めないことがあるのがタマニキズだ。
今回も、返ってきた答えはだいぶ想像を超えていた。
私が、人に嫌われない様に振る舞う理由。
私は「許されない」と思っていたのか。
だから皆んなに良い顔をしていたのか。
何処にいても「ここは私の場所じゃない」という気持ちが強かった。
本当の居場所がわからなかったから、常に受け身で腰掛けで、
「なんとなく」そこにいて、
何が正しいのか、そこにはどんなルールがあるのかとか深く知ろうともしていなかった。
とりあえず笑顔を浮かべて、食いっぱぐれないようにしていたんだ。
自分の心に従って行きたい道を「自分で選べば」その道すがら、
起こる出来事に興味を持ち、
調べたり、
本気で向き合ったりして、
納得して進んで、
自分で足元を踏み固め広げ、
確かな安定感や穏やかさ、安らぎを得ていく。
そうして得るものを”自信”といい、
そんな自分で立っていられる場所を
”居場所”というのだ。
その居場所では、みんなに良い顔をする必要はない。
小さくても、確かに自分が作った場所でなら、
堂々と胸を張っていられるから。
今日も愛しき奉りを♪
Reaching Out♡理詠でした☺︎