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『きのう何食べた?』モーニング連載/23巻は、シロさんの還暦祝い。赤い花束をあなたに。

『きのう何食べた?』23巻。
シロさんの還暦祝いがメインテーマ。
連載何年目かな。第1回は、2007年。シロさん、43歳。実に正確に17年後は60歳だったわ…。あたしも45だったわ。そして今年は、62になったわ。
17年の連載を総括するような、シロさんケンジ、周りの人々との関わりが、和やかに描かれる。
 ずーっと読んできたわたしも一緒に祝ったような気持ちになり、なんだか遠くにきたもんだ。そして本当によく生きてきたよね…って泣きそうになっっちゃった…。

 よしながふみのマンガに一貫するのは、登場する人間と世界の真っ当さ。人間関係の健やかさ。もちろん現実は、そんなに真っ当ではないし不健全で満ち溢れてる。でもマンガを読んでいると(こっちの真っ当さの方が正しいよな)と思わせる。

 それをただのエンタメとするかどうかは、読む方の判断だろう。もちろんあたしは、そうは受け取らないけどね。

 90年代に生まれた日本の商業BLマンガや小説は(例外はあれど)首尾一貫して「純愛物」であり「一夫一夫制」であり、決して壊れないカップリングの物語であった。いわゆるロマンチック・ラブ・イデオロギーどっぷり。

 なのだったが、しかししかし同時に、どこまで行っても「男同士の恋愛物」であって、男女のそれとは違うのだった(現実の男性同性愛とも違う)

 この23巻で、シロさんとケンジのカップルは、同性婚の式を挙げるのだが、そこでケンジは「シロさんは20年間毎日ご飯を作ってくれました」と挨拶する。
ジェンダー平等の昨今であれば、妻が食事を作り続けるのは、不平等であるわけだが、シロさんは妻ではないし、主夫でもない。弁護士の仕事をしながら、毎日家で夕食を作るのは義務でもなく「好きでやっていること」でありケンジという家族のためでもある。
ケンジはケンジで美容師をやりながら、休みの日は洗濯したりアイロンかけたりするし、細々とした日常の用事や実家とのやりとりや事務作業も自分でやる。さまざまな相談事も二人で話し合う。

 この彼らに見える対等性と平等性は、「性差別がない」がゆえに描ける関係性だが、だからと言って「ゲイカップルだから」可能だというわけでもない。ここが大重要点で。

「シロさんとケンジだから」描ける関係性なのだ、ということ。
別の人なら別の話になるし、別の人間関係になる。
『きのう何食べた?』は、シロさんとケンジという人を選び、彼らだから成り立つマンガ世界が意図して創造されているのだ(流れでそうなったも含めて)。

 個人と社会性は、当たり前だが繋がっている。
マンガを読む側が『きのう何食べた?』を「真っ当な世界」と感じるか「こんなのあるわけない」と感じるか。「なんかキモい」と感じるか…何も感じないか…それぞれの個人が世の中とどう繋がっているのか鏡のように映されるはずだ。

 だからこそ、よしながふみは、真っ当であろうとする。
危うい断崖の上をつま先で歩くように。多分、きっと、そうであれかしと希望を灯すのだ。

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