俺たちの福浦さん、お疲れ様でした。野球人生は悲喜こもごも…しみじみと思った日。
139試合目 M×F 6対1 ZOZOマリンスタジアム千葉
2007年、ファイターズのリーグ優勝は、ロッテマリンスタジアムで決まった。あの頃からファイターズとマリーンズの間には、なんとなし親近感があった。
監督がトレイ・ヒルマンとボビー・バレンタインであったこと。若い選手が多く、当時としては金髪やら茶髪やらファッショナブルな傾向があったこと。ハムにはダルビッシュがいて、ひちょりがいて、賢介がいて、マックもいて、勝も久もいて。マリンにはツヨシがいたし、サブローがいて、ピッチャーには小林宏之、キャッチャーは里崎、そしてもちろん福浦和也がいた。
役者が揃っていたというかキャラが立っていたというか。野球も互いにスピーディでも地味に手堅いファイターズに比べて、マリーンズは派手で大胆なイメージがあった。あくまでもイメージですが。
年寄りの繰り言めいてくるけれど。あの頃は、ライオンズも中村剛也やGG佐藤、アレックス・カブレラ なかじー 栗山、 ピッチャーは岸くん、涌井、西口…とこちらも錚々たる若い面々で、強かったんだわ。
あれからもう12年もたってしまった。そしてあの頃すでに、福浦さんは、32歳だったんだね…。そんな風に見えなかったなあ。
ギリギリと矢を射るかのように、バットを持つ腕の肘が肩の後ろにねじれてひっぱられていく。札幌ドームの一塁側C指定席、バッターボックスの後方から眺める福浦和也の後ろ姿の有様に気がついたときの驚きは、忘れられない。
その捻られた軸が、マンガ的に言えばギュワンっと振り戻される反動で、強打は生まれ、ボールは飛ばされていくんだなあって。福浦さんはすごいことやってるんだなあって。素人ながらに、その体の強さ、使い方に感動したのです。他にそういう打ち方をしている打者はいなかったし。
野球選手は、みんな、それぞれの打ち方で打っているのだ。野球に詳しい人にとっては、当然のことは、しかし当たり前じゃないんだなって、実感させてくれたのが、あの後ろ姿だった。
18歳から26年間もプロ野球選手をやれるなんて、本当にすごいことだし、素晴らしいことだ。福浦さん、長い間楽しませてくれて本当にありがとうございました。
同じ日に、阪神タイガースの横田慎太郎選手は、脳腫瘍の大病から現役復帰後、視力の回復が伴わず、引退を決意したと報道があった。
天賦の才と努力する心が、横田くんにはあったと思う。すごく期待していたし可愛らしくて大好きな選手だった。6年間のプロ野球人生。なんと言っていいのかわからない。無念の気持ちが…。
福浦和也と横田慎太郎の野球人生を比べることはできない。
でもどちらにも意味があり価値がある。
同じことを前に書いたけれど。数多いプロ野球選手の中で、そのほとんどは表舞台で活躍できず、スポットライトに当たることなく消えていってしまう。
スター選手は、ほんの一握り。
だからこそスターになれた、生き延びられた選手、光を浴び多くを得られた選手には、多くの期待と夢がかけられ、同時に重い責任が課せられることになる。
光が影を作るのか、影が光を作るのか。どちらも同じなのか。
その眩さと陰影を、つくづくと味わうのもプロ野球ファンなのだと。
シーズンの終わりは、いつも教えてくれるのかもしれない。
忘れっぽいわたしたちが、忘れないように。
ファイターズ 63勝72敗5分 5位
賢介の話は、終わってから書くよ😊
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