谷口雄也deナイトを聴いていた。ファンの心にじーんとしながら…。
1月3日に放送された「ファイターズdeナイト特別版谷口雄也deナイト」を聴いていた。「ファイターズdeナイト」は、北海道の放送局HBCラジオで2006年から続く人気番組だ。パーソナリティは、斎藤こずゑさん。
谷口くんの特番が流れるのは、もちろん前から知っていたけど当日は聞かなかった。なんとなく面白くない、素直に「わーいきゅんちゃんの特番だあ〜💕」とは喜べない屈折した気持ち。これを一般的にはやきもち嫉妬心というのであるが、なんでわたしが、ラジオ番組に嫉妬しなければならないのか。
全くもってこずゑちゃんには何の関係もないのだけれど、11年前から応援し続け、このnoteでも何度も何度も書いてきた。きゅんちゃんファンとして尋常ならざる情熱を持って書いてきた(でも読んでもらえるのは、文春野球コラムのこずゑちゃんだもんなあ)って気持ち。それももちろん当たり前なんだけどさ。自分もチャンスはあったのに逃した魚は大きかったと後悔が、後悔なんかしてないと忘れる努力をし続けている口を開けてドドんザブンとかぶさってきて、いやーな気持ちになるから。聴けなかった。
それでもまあやっぱり聴くんですけどね。ラジオは大抵、ラジコで聴く。きゅんちゃんの声は、ルーキーの頃よりは、いささかトーンが大人になっても変わらない優しい話方で、聞きやすい。11年間のプロ野球生活、家族のお話、怪我の話、中でもファンの応援についての話が多くを占めていた。
自身のプロ野球選手としての成績に鑑みて、それに見合っていたかどうか冷静に考えながら、ファンの応援が自分を大きく見せてくれたと、やっぱり彼は、自らの立ち位置と自らを取り巻く世界を客観的に捉えている。(そういう点で彼とゆうちゃんは、かなり近い。規模は違いますが)
天性のものなのか、プロ野球界で揉まれての後付け学習によるのか、どっちもなのか。多くのファンに愛されてーといえば美しいけれど、ファンとか愛とか言ったって色々いるわけだから、苦労もあったと思うよ。すごく嫌な目にだってあってるはずですよ。でも一切それは表に出さない。
アイドルのアイドルたる所以。
わたしはでも、ラジオを聞きながら、自分はきゅんちゃんの何が好きだったのかな、ていうか実際本当に自分は野球選手谷口雄也のファンだったのかしら?とすら思ってしまった。
雑誌やポスターは持ってるけど、グッズはタオル1枚しか持ってない、サインも欲しいと思ったことない。背番号入りのユニフォームを作ることも買ったこともない、ファンレターも出さない、プレゼントなどしたいと思ったことすらない。球場で応援ボードを掲げたこともない。鎌ヶ谷に応援にも行かなかった。
ラジオから聞こえてくる谷口ファンのなしていることを、自分は全然したことなかったなあって…勝手に引け目を感じてしまって。もともとファイターズファンとしてもサイン欲しいとかグッズ欲しいとかまず思わないタイプなんですけどね…。
前に西川美和さんの『遠くにありて』の感想に「見ているだけだとしても」と書いた。その通り、あたしは、ただ見てるだけ。
ただ見ているだけだし、見たことから感じ取り、想起した何かしらを言葉にしているだけだ。別に、そういうファンだって、ファンといえばファンかもしれないし、そうでもないのかもしれないし…何を言いたいんだかわかりませんが。
わかっているのは、もう二度とプロ野球選手谷口雄也を見ることは、ないということだけ。だからといって、それで終わりになるわけでもない。
思春期の頃からプロ野球を見てきた。熱心でも熱心でなくても記憶の中の選手たちは、居残り続ける。多くの人々の中に同じように、別々の思い出が生きている。誰もが、ただその一欠片の断片であるに過ぎない。だからこそ、そのカケラは、どこかで光り、何事かと関係し、連なる歴史となっていくー
プロ野球に限らずだけど、プロ野球ってそうやって続いてきたんだなあってきゅんちゃんのラジオを聴いて、ぼんやり胸に浮かんだことを書いていたら思った。 落ちはありません。すいません。
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