”スピリチュアル”の落とし穴を避けるための心得
今回はスピリチュアルなことがらの「危うさ」について、書いてみたいと思います。
「スピリチュアル」は、客観的な正解がない世界であり、いくらでも「妄想」が増大する世界でもあるからです。
例えば、ある霊能者が、A子さんにこう言ったとしましょう。
「あなたの後ろに、光り輝く存在がいて、守護しています」
それを聞いたA子さんが「そう言われてみたら、間一髪のところで事故を免れたことがあるわ!」と思い出したとしても、それは守護霊の存在の証明にはなりません。
守護霊が守ってくれたのかもしれないし、そうでないかもしれない。
守護霊が本当に存在するのかしないのか。
それは、信じるか信じないかの世界で、人によって答えが違うものです。
ここを間違えてしまうと「みえる人」を「すごい」と神格化したり、逆に「ちょっとおかしい」とバカにしたり、「みえる自分」を偉いんだと勘違いしたり、「信じない人」を「わからない残念な人」だと下に見たり……なぁんていうことも、起きます。
これは、未熟な人や性格が悪い人が陥る特殊な例ではありません。
どんな人であっても、ふとした拍子に足を取られる日常にある罠なんですよ。
まぁ、そこにひっかかることも、自己を磨きあげる要素にもなるので、一概に悪いとは言えません。
言えないのですが、わかっているなら賢明に回避したいじゃないですか。
ということで、私はスピリチュアルな情報やワークを「健全に扱っているかどうか」頻繁にセルフチェックしています。
例えばこんなことを意識しています。
・心身に良い影響をもたらすよう扱う
・自分や関わる人々の意識が成長する方向に扱う
・スピリチュアルな世界を否定する側の観点も同様に大切にする
・直感と実際をジャーナリングし、事実関係を確認し、情報をアップデートする
・スピリチュアルなこと以外の趣味も楽しむ
・スピリチュアルなこと以外の能力も磨く
最後のふたつは特に欠かせません。
要するに「偏らない」ということだと思うんです。
スピリチュアルな探求は、心のバランスが鍵です。
信じる力は大きな力を持ちますが、盲信は危険を伴います。
私たちには「真実を見極める智慧」が必要なんですよね。
時にはその見極めが難しく感じられるかもしれません。
でも、必ずできるようになります。
私は、スピリチュアルな世界の探求の先に、誰にでも通じる「真理」があると信じています。だから、スピリチュアルな探究の道において、「NOT スピリチュアル」の観点が不可欠です。