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不思議な出来事が続いた四十九日ごろまでのお話

前回のお話の続きです。

埼玉へ帰宅

彼氏が海で急死し一晩経って、検死の間に彼氏の家族と事故現場を見に行きました。
2010年8月29日、その日も猛暑で雲ひとつない空でした。
現場はとても穏やかな海で、こんなところで浮いてたなんて信じられない…。それしか思い浮かびませんでした。

検死の結果、肺に水は入っておらず、溺死ではなく心臓麻痺とのこと。
溺れて水を飲んで苦しんだわけではないのか、少しでも苦しさを感じずに逝っていたらいいな…と思いました。

前日の夜に彼氏の家族と決めた葬儀屋さんの車で、棺の隣に座って埼玉に戻りました。
棺の顔の部分の小窓を開けて覗くと、昨日よりさらに顔色が悪くなっていました。
葬儀場に着くと横浜から来た私の両親が待っていて、母が彼氏の変わり果てた姿を見てその場で泣き崩れました。

彼氏のご両親が、まだ結婚していないけれど私を家族の一員として扱うと言ってくださり、葬儀やその後のことも全て関わらせてくれることになりました。
すぐに葬儀場のスタッフと葬儀内容の打ち合わせになりましたが、全く内容が頭に入ってきません。
お花のことや霊柩車の種類や香典返しや遺影写真など結婚式並みに決めることがたくさんあるのに、時間は1日くらいしかないんだな…と考えていました。

お通夜の日時が決まり、お兄さんと手分けして彼氏の携帯に登録されている人全てに電話をかけました。
彼氏の携帯を使って「Oの彼女なんですが…」と電話をするので、皆何事かと思われたかと思います。
「Oの許可取ってるんですか?勝手に電話して何やってるんですか?」と怒る人もいました。
彼氏が亡くなったと伝えると、皆絶句していました。
私の心配をしてくださる方も多くいて、涙がずっと止まりませんでした。

お通夜と、不思議な出来事

その日の夜は一度同棲していた家に戻って、暑い部屋で腐りかけの燃えるゴミをまとめ、当分の着替えなどを鞄に詰め、彼氏の実家に行きました。
ご両親が私が心配だとのことで、しばらくの間は彼氏の実家にいることになりました。
その日もろくに食べ物が喉を通らず、部屋で1人になると涙が止まらず、眠ることもできないまま朝になりました。

2010年8月30日、次の日のお通夜までの間に彼氏の体が実家に戻ってきました。
2日前の友達宅のホームパーティーにもいた、私と彼氏も共通の友達で仲の良いご近所のOさんが来てくれました。
知った顔を見て、張り詰めていた気持ちが少しほっとしました。

2010年8月31日、18時からお通夜。
遺影写真は、私が2年前の彼氏の大学卒業式の日に撮った笑顔の写真。
お通夜ではご両親の間に立たせてもらい、皆さんにご挨拶をしました。
ずっと私は泣きっぱなしでしたが、友達たちが一緒に泣いてくれて、気遣ってくれて、笑顔にさせてくれて、とても嬉しかったです。
そしてなんと400人もの方々がお別れをしに来てくれて、外まで長蛇の列。
葬儀屋さんの提案で、彼氏の小さい頃からの写真をスライドショーにしてプロジェクターで流して皆に見てもらうことになったのですが、なぜか急にブレーカーが落ちました。
これ、絶対ここにOがいて、恥ずかしくてブレーカー落としたよね。と皆びっくり。
結局プロジェクターは使えなくなってしまい、テレビに映してロビーに皆で体育座りをして鑑賞しました。

その日の夜は蝋燭とお線香を絶やさないために、葬儀場に泊まりました。
眠れなくて、彼氏が眠る祭壇で一晩中顔を見ていました。たくさんのことを話しかけました。
何時間か後には彼氏の肉体がこの世から消えてしまう。
時間が止まってくれたらいいのに、と何度も思いました。

告別式、最後のお別れ

2010年9月1日、11時から告別式。
火葬には、受付をお願いした共通の友達OさんとHさん、彼氏の高校時代の親友が参列してくれました。
最後のお別れをして、もう二度と触れなくなるほっぺたに触れて、火葬炉に入っていくのを見届けて、ただの骨になってしまった彼氏。
今まで生きてきて感じたことのない絶望感、とてつもなく辛かった(辛いだけでは言い表せない)気持ちを覚えています。

その後5日間、彼氏の実家に泊まらせてもらいました。
お仏壇を選びに行ったり、お墓の場所を決めてお墓のデザインを考えたり、ご両親とお兄さん家族と食事を共にして思い出を語り合ったり。
とてもよくしていただき、娘のように接してくれて、こんなに素晴らしいご家族に育てられたから彼氏は優しかったんだなぁ。と思いました。
結婚してからではなく、こんな形で一緒の時間を過ごすことになるなんて。

引っ越しと、不思議な出来事

そして10日ぶりに、同棲していた自宅へ帰宅。
私の母が心配して一緒にいてくれました。
その家は1人では広すぎるのと、思い出が詰まっていて住んでいられない気持ちなので、すぐに母と部屋探しをしました。
同棲していた家も近かったのですが、更に彼氏の実家にもお墓にも近い場所を1日で決めて契約をしてきました。
そして2週間後の2010年9月20日に引っ越しをしました。

引っ越しの日、彼氏が亡くなった時に館山まで送ってくれた友達夫妻がお手伝いに来てくれました。
新居の前で、彼氏の葬儀の時のお線香の香りがふわっと香ってきて、3人ともびっくり。
それまでも度々、なんでもないところでお線香の香りがする時があったので不思議でした。
葬儀で使われていたのは白梅の香りのお線香で、一般的なお線香の香りとはまた違うので、これは気のせいではなく彼氏が近くにいるってことなのかなぁと思いました。

仕事再開

仕事はずっとお休みをいただいていて、引っ越してから復帰しました。
正直、彼氏が亡くなってから泣かない日なんて1日もありませんでした。
家で泣くのはもちろん、外にいても急に涙が出て止まらなくなる。
私はこんなに辛い気持ちなのに、周りはいつも通りの日常。ついていけない。世界に取り残されている。
そんな状態のままなので、大好きなデザインの仕事と言えど、頭が働かなくなり手につかなくなり、心と体が思うようについてこない日々が続きました。

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