私の音楽教室開業のおはなし
本日は、私が教室を開校した当時からの歩みをお話ししてみようと思います。
今年で教室開業をして20年が過ぎました。
それ以前は何をしていたかといいますと「ヤマハのシステム講師」でした。
当時の心境を今振り返っても本当は演奏でご飯を食べていきたかった。というのが本音ですね。
学校を卒業した時も普通の人のように「就職活動」みたいなことは一切しなかったですね。
時代も今とは大きく違うしコネもなにもない。
ただ茫然と「音楽でご飯を食べられる人間になる!」というのは中学生の頃からありましたね。
(この!ビックリマークが結構重要だったりします)
それで卒業真近になってそのまま無職でいられるわけでもなく取りあえず「簡単に受かりやすい会社にお試しで学生アルバイト感覚で」働いてみたんですね。
いわゆる試用期間というか。3か月程度でしたでしょうか?
で確か内定をもらったんですが「どうにもここは私の居場所じゃない」って感じたんです。
普通に高卒で働く場所じゃん?みたいな。
で内定を自ら蹴ってしまいました。
わかっているのに凝りもせずまた別の会社2社に申し込んだのですがなんと、、、
面接試験をバックレてしまったんです。(笑)
当時を振り返っても今考えても甚だ疑問なのですが両親は何にも言わないんですよ。
未だにわかりませんがお見合いで結婚させたかったんでしょうね。
私、そんなお嬢様じゃありませんから。
それで地元のヤマハの特約店に電話して
「なにか弾く仕事ありませんか?」
ここからがすべての始まりでした。
とにかく降ってくる何かを待つのではなく
「自分から行動を起こしてみること」
これがどんなことに対しても一番大切なんですよ。
「そう。じゃあなたちょっと履歴書持って来て下さいよ」
このやりとりは忘れませんね。
ところが面接に言ったら
\いきなり先生になっていたんです/
お試し採用どころか来月からヤマハの先生なんです。
「先生が何人か結婚で辞めてしまってね、先生が足りなくて困っていたんだよ~」
えっ?先生って、私が?
そりゃー学生時代にヤマハのグレードは取ったけれど。。。
今の時代には考えられないでしょうけれど、
こんな感じで初めから週4日稼働で個人レッスンを担当することに。
しかも1日に結構な人数を教えていました。
大人も子供もです。
1年先輩の先生が「すごいねー1年目からこんなに稼働多い先生なかなかいないよ」
「はぁ、そうなんですか・・・」
だんだんと先輩の先生方から「曜日が合わないからK先生(私の旧姓)やってくれる?
なんと自分より年上の生徒さんのヤマハグレードのレッスンも複数担当することに。
「おいおい大丈夫か自分」「自分が受かるのと
相手を受からせるのとは違うだろう」
ところがグレードの試験みなさん1回で受かってくれているんですよ。
これが今日の「グレード最短で受からせる自信」につながっているのだと思います。
社長曰く「来春ヤマハ財団の試験受けてね」
つまり楽器店採用ではなくヤマハのシステム講師になれ、ということです。
おしえる仕事も何の教え方も学んでいないのに
何だかとんとん拍子に来てしまった。
自分が学生時代に習った先生の教え方をただマネただけなんです。
で、教えるだけでは物足りなくて
「何か弾く仕事ありませんか?イベントでも
販促でも演奏でも何でもいいので弾くお仕事がありましたら私に声かけて下さい」
これです。
こういう積極性。何事も手に入れたいものは自分から動いてみる。
そうしたら来る来る。
「●●で楽器の展示即売会あるんだけどそこで弾いて」
「クリスマスシーズンに1週間毎日レストランで弾いてほしい仕事来てるけどやってみる?」
(夜8時半にレッスンが終わってから11時まで
生演奏弾きっぱなし)食事つき
「ラジオの公開生放送の仕事あるけど、
あんたやって」
(今でも実家に毎回録音のテープがあるみたいですが怖くて死んでも聞けません。。。)
こうしてツラツラ書いていますけれど
私はなんて恵まれた人間なんだろう!と。
本当は歌も歌えて楽器も弾ける人になりたかったけれど歌は正直生まれ持った素質がないと無理です。
ちょっとボイトレするくらいではダメだということは10代の頃からわかっていました。
自分より先輩の方で言うと「岩崎宏美」さんとか「八神純子」さんとか。
あのくらいの歌唱力がないと歌では長く生き残れないというのを多感な10代のうちからいろいろな歌手の方をみてひしひしと感じましたね。
だから今もずっと歌っているでしょう?
現役で。
話しが横道にそれましたが、本当に恵まれました。 運に。
で、システム講師になったわけですが嫌でも何でもなくて演奏の仕事にも教える仕事にもあちらこちら行かせていただいて同期の講師とかもメチャクチャ仲が良くて楽しくて充実していたのですが
4年程でスッパリ辞めてしまったのです。
をいわゆる昔で言う”寿退社”というやつで。
今なら会社員の方でも結婚を機に仕事辞めないでしょ?
それで東京に出てきてお家で専業主婦とその後の子育てをしていたのはほんの2年くらいいだったと思います。
当時から「20代のうちから先生という職業しか経験がないと、世間知らずな人間と社会的視野の狭いものの考え方になるし、そして裸の王様的なとんでもない人間になってしまう」と思い、あえて音楽とは関係のない外資系企業で働いたり、宝飾関係や服飾関係のお店で働きました。
一度音楽から完全に離れてみたのです。
まず、ここで安定したお給料をもらい貯金をして今後の教室開業資金にしようとしたのです。
両親や配偶者の資金援助はいまだかつて全く受けたことがありません。
ところがこの、服飾関係と宝飾関係の仕事は一見華やかに見えるけれど予想外にきつかったし辛かったです。
正社員ではなくパート従業員の身でありながら、そんなことは関係なく毎日毎日売上売上のノルマ。
本社からは数時間ごとに「今現在の店の売上いくらだ?!」の電話。
店長でもない私にも電話口で怒号が飛びます。
売らないと怒られるのは当たり前ですが、何十万の高額商品を売ったら売ったで先輩社員にいじわるされる。
先輩社員といっても全員みな年下・独身ですよ。
子持ちの主婦が高額商品をバンバン売っていくことが癇に障ったのでしょうね。
毎日毎日、子供の前で泣いていました。
自分の親が泣いているのを見るのは子供にとって相当辛いものだと知りました。
「私にはきっと雇われるという生き方が合わないのだ。そういう運命なんだな」
「この人達は何の努力もしないで大学にも行けてない可哀そうな人達」 そう考えるとすごく楽になりました。
そんな時、ふと「講師業と演奏の仕事を再開したい」という話を何軒かの楽器店に電話しました。
一つはとても邪険にされましたが、もう一つの楽器店は二つ返事で応援して下さいました。
運よく演奏の仕事が舞い込んできたのもチラシ作製を援助して下さったのもこの楽器店のおかげです。。
【実際の講師業再開から今日に至るまで】
インターネットがまだ普及していない時代、自分でデザインや案を考え抜いたチラシを印刷し、それを新聞折り込みに入れることからはじめました。
ありがたいことに近所のお子様が5,6名すぐに集まって下さり一生懸命指導法を考えながらスタートしていきました。
当時は教室運営スタートと同時にホテルでのブライダル演奏やラウンジ演奏も同時進行で行なっていました。
レッスンが終わってから演奏に出かけていったり(レッスンが多忙を極める今では考えられないことですね)
土日のどちらかはホテルブライダルの仕事をかけもちするといったようなこともやっていたと思います。
それから場所をレッスン専用の教室に移動し、今度は大量に印刷したチラシをレッスンが終わってから夜な夜な手作業で半分に折る、ということを毎日毎日繰り返しました。
その手おりしたチラシを100部ずつ束にして、今度は自分の足で歩き1件1件ポストに投函していくことを何年も続けました。
時にはマンションの管理人や住人に怒鳴られ、どやされ、または心ない一般の関係のない人から電話がかかってきて「チラシ入れるなー。警察に通報するぞー!」と生徒の目の前で脅されたこともありました。
「チラシで生徒募集をするには限界があるな、そうだ、インターネットのHPで告知をするのはどうだろう?」
しかし、当時の私は ワープロさえ打ったことがなく、発表会のチラシもプログラムも大人の生徒さんや知り合いの先生にお願いするくらい何もできない人間でした。
「そうだ!PCを習いに行けば良いのだ」 思い立ったら吉日、すぐに近くのPC個人レッスンの教室に1~1年半通い続けました。
その間、当時はまだ言葉さえなかった マーケティング、心理学、経営学など音楽と一見関係のないことを本で読みあさり勉強しました。
自分のHPを作るにあたり 「これはマル、これはNG」と片っ端から同業、異業種様のHPを選別していき、異業種様の良いところをどんどん取り入れていきました。
こうして立案から構想までおよそ2年、実際には制作会社様にお願いしているのですが、おおまかなデザインやコンセプト、文章の1字一句やHP上の同線まで考えに考え抜いて制作だけ発注する、というスタイルを今も同じ会社に依頼しています。(HPは2004年から)
何事も思い立ったら吉日、即行動(一応、頭の中ではかなり悩んで咀嚼して考えに考え抜いた結果の行動ですが、ガ~っと一気に集中して研究してまずは行動に移します)
当時は【顔出し、実名出し、電話番号丸出し】しかもプロが作ったデザインという同業の方はま~ずいらっしゃらなかったので、HPを公開してからすぐに反響をいただき今まではご近所の方だけだったのが隣の市町村の方までもが足を延ばして下さるようになりました。
それから数年後の2007年4月。
「これからはHP+ブログの時代だ!」と思い立ち、HPとブログを一体化させたデザインにしていただき、日々講師である私がどんなことを考えて指導しているか自分なりの考えを発信していこう、と現在までそれをずっと継続して実行しています。
さらに2015年からは動画コンテンツへの取り組み、そして2016年は動画を使ったコミニュケーションスタイルスマートフォンでの遠隔レッスンを導入し北は北海道、南は九州、沖縄の方とリアル教室でのレッスンと同じスタイルのレッスンを展開しています。
常に業界で時代の最先端を先駆者的に行動すること、業界の非常識ともいえることでも他の業界がやっていて直感でイイ!と思えることはすぐに取り入れること、そしてそれを継続させること。
これが大切だと実感しています。
実は、見た目にはわからないと思いますが昔、自分の足で歩いてチラシを撒き続けた後遺症で左足に障害が残っています。
だから小走りやスポーツなどが全くできません。 靴には常に特殊な中敷きをいれないとほとんど歩くことができないのです。
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ここまでお読みくださり本当にありがとうございました。
他に「教室経営に大切なこと」
「トラブルがないお仕事の仕方」
「悩んでいる人を救いたい」
「無駄な回り道をしないためには」
などなどたくさん記事を書いています。
どうぞよろしくお願いします。