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友達に約束を忘れられていた娘

今週の子育てお茶会(←主催者)、開始直前の話。

次女がお友達と遊ぶ約束をしたと言うので、相手のママにも確認して約束の場所まで連れて行ったのだけど・・・こない。15分くらい待っていたらふらっと現れて、言った言葉が「〇〇ちゃんと遊べるかと思って来てみたら、まなみちゃんがいた!まなみちゃんと遊ぶ約束したの忘れてた!」(約束したの、1時間前くらいだけど!笑)

とにかくお友達と会えたので、私は迎えにくる約束をして、お茶会開始時間ギリギリに帰宅。


これを話すと、お茶会に参加してくれたママたちのお子さんはまだ幼稚園だったので、びっくりしてました・・・

が、

待ち合わせしてもこない!と言って、家と待ち合わせ場所を何往復もしたり、とぼとぼとひとりで帰ってきたり、さらに相手の子は別の場所で遊んでいたりなんてことは、小学1、2年生あるあるです。(いや、みんながそうではないと思うけれど)


子どもがショックを受けていたりしたら、フォローすることは大事。そのとき、「親である自分が心をかき乱されてないかどうか?」というのも私は大事な点だと思っています。

そういうとき、子どもよりも親の方が傷ついちゃったりしがちだから。


自分が痛手を負っていると、なかなか子どもに寄り添ったサポートは難しい。子どものことを冷静にみれないから。「子どもも自分と同じくらい傷ついているんじゃ?」なんて感じてしまう。事を大袈裟にしてしまったり、相手の子を否定的にみてしまう。お友達関係が心配になってしまう。


でも、子どもの出来事でそれだけ傷つくということは、自分にもともと傷があったから。無意識にも古傷をえぐられるから。


自分が転んだからこそ、子どもが転んだとき痛みに共感できる。だから転んでしまったことにも価値はある。その価値を活かすためにも、転んだ人を見て傷がうずいたら、完治させよう。


そうやって私は長女にモメごとの多かった頃、心の動揺に向き合ってきました。


ネガティブな感情(痛み)は治りきってない傷から生まれる。だから傷を治癒させることは大事で、私は、子どもたちは古傷を完治させるために(傷に)気づかせてくれるありがたい存在だと思っています。


子どもは子どもで、必要な体験をし、時には喜び、時には傷つき、いろんな感情を通して大きくなる。


自分の傷に向き合ったからこそ、「そんなこともあるよね。」って、子どもの傷を治す力や成長する力を見守れる親になっていくんじゃないかなと思うのです。

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