夢の中でしか行けない場所、後編
五つある場所のうち、残り二つは駅とは全く関係のない場所だ。
四つ目は、高層ビル。イメージとしては都内の超高層マンションで、何十階とある。
ガラス張りで、建物の中心にエレベーターが何基もある時もあれば、景色が見えるエレベーターの時もある。エレベーターは一階から最上階まで一気に行ける。時には部分的に短いエスカレーターや階段がある事も。
その時その時で色んな施設が入っている。多いのは図書館とゲームセンターとフードコートだ。特に図書館とフードコートがある階は、上や下の階と階段やエスカレーターで繋がっている事が多い。階段は壁に囲まれておらず、踊り場から下の階が広く見渡せる。
これのモデルは恐らく、通っていた短大の食堂や図書センター、あるいは私が住んでいる市の最も大きい郵便局だと思う。それらと、これまでに旅行で訪れたホテルなどが合体して現れている気がする。
実在する図書センターと食堂のホームページを覗いてみると、どちらもガラス張りで広い吹き抜けがあり、なるほど夢で見た内観によく似ている。図書センターは三階建て、カフェテリアと呼ばれる食堂は二階建てだが、吹き抜けのおかげで下の階がよく見渡せると言う共通点がある。図書センターの階段は螺旋階段で、夢と同じように周りに壁がなく、開けた視界が広がる。
郵便局もやはり同じで、まず道路に面した壁は一面ガラス張り。高さは三階建て相当だが窓口は一階にあり、広く吹き抜けになっている。そのため天井がかなり高く、中にある踊り場付きの階段からは一階の全貌がよく見渡せる。坂の途中に建っているので、入り口から入ってその階段を登ると出口となり、出て坂の終点に到達するのがワープしたようで、何となく面白いと感じる。
正直、短大の図書センターにはあまり行く機会がなかった。自由課題の調べ物をする時に一〜二度使ったぐらいだ。だが本や一人時間が好きな私にとって、何となく憧れの場所ではあった。広々としていて程よい雑音が聞こえ、日がたっぷり入って明るい。図書ブースは在校生のみならず一般の人も利用できるので、今でも行こうと思えば行く事ができる。ついブックカフェや近所の本屋にばかり行ってしまうが、たまにはそんなところに行って本の世界にどっぷり浸かりたいな、とも思う。
ちなみにゲームセンターの方は、アミューズメントパークと言った方が近く、お台場の東京ジョイポリスに似ている。ここはかつて訪れたハワイの、若者向けの薄暗いレストランか、イクスピアリのレインフォレストカフェがモチーフのような気がしている。
最後の五つ目は、福島の祖母の家だ。今はもうない。
前編で長期休みのたびに母の実家に帰省していたと話したが、この家は父方の方だ。実は11年前の震災の影響でしばらく人が住めなくなっていた。震災後両親が時々片付けに行っていたが、草は生え放題、ネズミにかじられ放題で、とてもじゃないが再び住める状態ではなく、取り壊さざるを得なかった。何よりほとんどの人が町から出て行ってしまい、一時はまさにゴーストタウンだった(今では駅や街が復興し、戻ってきて生活をしている人もいる)。
私は福島で生まれて、三歳の時に今いる茨城に越してきた。
子供の頃、祖母の家に帰るのは楽しみだった。二階があり、階段を挟んで右の部屋にダブルベッド、左の部屋に応接ソファと小さなガラステーブルが置いてあった。部屋を繋ぐ廊下は一面窓があり、南向きで明るかった。
帰省すると私たち兄弟は真っ先にそこへ行って遊んだ。ベッドとソファはトランポリン代わりだったし、古いレコードプレーヤーや父がかじったギター、私が着ていた浴衣の兵児帯などがしまわれていて、遊ぶには事欠かなかった。いとこも合流すると五人になり、すっかり私たちの秘密基地のようだった。
ゴールデンウィークには鮮やかに萌える新緑を、真夏の夕方には段々とオレンジ色に変わっていく広い空を、廊下の窓から眺めた。庭で何か作業をしている祖母も、お隣さんちの庭も見えた。お盆のヒグラシの鳴き声や夕方五時の町内チャイムはなんとも言えず叙情的だった。空気は澄んでいて、木や土の匂いを胸いっぱいに嗅ぐことができた。私にとってのノスタルジーは、この家を抜きには語れない。
今では本当に文字通り、夢の中でしか行く事ができない。実はこの家を一番よく夢に見る。祖父と祖母、私たち家族、いとこ家族で集まった居間が、一階の長く薄暗い木の廊下が、南向きの明るい二階が、断片的に現れてはあっという間に目覚めて消えてしまう。
そのたび、心に開いた穴を見つめ直すような気持ちになる。ああ、あの家はもうないんだ。あの二階から見ていた景色は、もう見られないんだと。
それでも何度でも、あの家の夢を見たいと思う。
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