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どちらかではなくどちらも、そしてそれらの配分にもこだわろう

ラーメンかチャーハン、どっちを食べようかな、と迷って、どちらかにしなければならない、と思い込んでいるのは、貧乏性らしいです。

どちらも好きなら、両方望んで良いし、両方食べられるように何とかしようとする発想や工夫や行動が、自分の人生を豊かにして、思い込みの範囲の中の、狭い世界から、自分や周りの人を解放するのだと思います。

よく、ラーメンと半チャーハンのセットって、ありますよね。
半ラーメンとチャーハンとか、0.7チャーハンと0.3ラーメンとかもあったらいいのに、みたいなこと、ありませんか?

外食のように、既にあるものから選択する場合は仕方ないですけど、AとBどちらかにしようか、というとき、本当にどちらかしか叶わないのか、両方叶えられる場合、どうせならより自分にフィットする配分ができないか、面倒くさがらずに考えたり試したりしたって、良いですよね。

あ、もしひとりではなく、誰かと食べに行っているなら、ラーメンとチャーハンをひとつずつ頼んで、良いくらいずつ分けっこできる可能性も。
(そんなことが気軽にできる状況に早く戻ってくれたらいいのに…蛇足)

欲張りが悪で慎ましいのが善とは限らない。
ただ、要らないくらい多くをゲットしてしまうのもそれはそれで自分の不快に繋がる。
AとB両方叶えられる可能性を探り、自分にとってちょうど良い加減を見つける。

その匙加減が誰より上手な、自分号のパイロットでありたいものです。

「私と仕事、どっちが大事なの」というセリフの、「私」と「仕事」しか選択肢がないところが、痛々しいなと思います。
実際言ったことも言われたこともないけれど。

「明日は今日より少しでいいから長くあなたと話したい」くらいのリクエストで済むんじゃないのかな。その方が言う方も言われる方も、楽なんじゃないかな。

私はチャーハンを頼んだけど、あなたのラーメンも美味しそうだね、ちょっとスープ飲ませて。

両方叶えて、満腹を超えない。
「足るを知る」って、別に我慢でも諦めでもなくて、それはそれで、自分の心の声をよく聴いて、探求、追求することですよね。

小さな子どもたちが可愛いし、たくさん手をかけてあげたい。
夫とも仲良く楽しく過ごしたい。
親のことも大切にしたい。
自分もよく寝てよく食べて好きなことをしたい。

仕事も大事。趣味も大事。友達も大事。

すべて求めて、心地よい三角食べをして、美味しい人生にしていく。
難しいけれど、面倒くさがらずに、大切にしたい考え方です。

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