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素直を出し切った先に


私は物心がついた時から「お姉ちゃん」だった。

3つ下の妹が生まれ、5つ下の弟が生まれたあたりで、寺の嫁として忙しく働いていたお母さんを助けなければ、と5歳にして姉としての責任を自ら背負いあげたらしい。

実際に、私のお姉ちゃんとしての素質はきっと相当なもので、(妹と弟に言わせれば、相当スパルタだったらしいけれど) 周囲の大人の誰からも「理永に任せておけば大丈夫」と信頼されて、頼りにされた。

私はそれが誇らしくて、自分で自分のことも信頼していくことができたし、幼少期の経験として、すごく良かったことの一つでもある。



でも、最近気がついたことがあって、それは、私には、“欲しいものを素直に欲しいと言えない癖がある”こと。

どうしても諦めきれないから、その周辺には居続けるのだけど、いざとなるとなぜか怖気付いてしまって、「やっぱりいらない」と言ってしまったり、1番はあれだと分かっているのに、2番か3番でいいと言ってしまう。

「私がすべて背負えばいい」「私が合わせればいい」「私がこの気持ちをしまっておけばいい」と思考してきた自覚はある。

だから基本的には、それと関連しているんだろうけど、なぜかどうしても素直に言えない。

受け入れられなかったらどうしよう、手に入らなかったらどうしよう、と無意識に思って、回避行動をしてしまっているのかもしれない。


それでね、その一番の要因ってなんだろう、と思ったら、分かったんです。

私、お姉ちゃんである前に、お母さんの娘だったの、忘れてた。

自分で勝手に責任を背負ってしまって、まだ子どもなのに、無理やり大人みたいになろうとして。

あー、私、あの頃、お母さんにもっと抱っこしてほしかったんだなぁ。




そう思い当たったらとてもすっきりして、最近は「素直」の練習中。

時に素直すぎるくらいに、ずっと「ママ抱っこー!」と言ってくる娘たちのことも思いっきり抱っこして。

私が欲しいものは、欲しいっていう。2番目じゃなくって、1番を言う。

「“素直に言ったら、受け入れられないかもしれない”と思うことは、自尊心の低さでもあるけど、相手への不信感でもある」という話をしてくれた人がいて、本当にそうだなぁ、と沁み入った。

自分の“素直”を出すって、大切な誰かを信頼しきることだし、それだったら、できる気がする。

どんなことにもどんなものにも、どんな人にも、それぞれに対しての愛情の形を出し惜しみせずに思い切り注ぎきった先に、どんな世界が広がっているのか見てみたい。

だからこそ、恥ずかしがって“素直”を隠している場合じゃない。私がみたい世界は、その先にあるのだから。

2024.09.16. 21:54

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