一生分の出会いと突然の別れ。明日も絶対に会えるなんて、思わない方がいい。だから無関心よりも、喧嘩する方が平和。親友の自死。
「今日は本当に楽しかったね。また今度ね。バイバイ。」
それは、ちょうど高校2年を迎える前の春休み。
中学からの親友と千葉にあるテーマパークに遊びに行った帰りだった。
そのバイバイが、一生分のバイバイになり、もう来ない今度だったなんて、その時は、1ミリも想像しなかった。
その子との出会いは、中学1年生の終わり頃だった。
内気で友達がいなかった私に、突然声を掛けてくれた。
「ねえ今度、うちに遊びに来ない❔」
突然の誘いに驚いたけど、
内心、とても嬉しかった。
後になって、
「なんであの時私に声掛けたのか」聞いた時、
私がいつも独りでいたので、実は、かなり前から気になっていたそうだ。
その子は、周りに困っていそうな人がいると放っておけない性格の子だった。
その子は、いつしか漫画家になりたい・・・という夢を語っていた。
その子は、まるで哲学者のように人生を語り、生きる子だった。
中学2年生の中頃から、その子は、急に不登校になった。
高校に入り、私たちは、違う高校に進学したけれど、
お互いの場所で充実させていたように私には見えていた。
私は、自分のすぐ隣にいると思った人が胸の内に抱えていたものに気づくことが出来なかった。
だって、その子は、いつも明るく見えたから。
今、思い返せば、
その子は自分とは違う異世界に生きていたのかもしれない。
高校2年を迎えようとしていた春休みの日。
私は、外出していた。
帰宅すると父親が無表情で、
「さっき〇〇さんの家から電話があって
・・・
亡くなったそうだ。」
私は、その一瞬のようで時が止まってしまったのというくらいの長い間、
父親の言葉が理解できなかった。
「え、なくなった❔なくなったって、家出でもしたの❔」
半笑いをしながら父親にその言葉を返した。
傍にいた母親も不自然にきょとんとしている。
「いや、だからとにかく亡くなったらしい。」
え、だって1週間前くらいに、一緒に遊んだし、
それに1日前に「楽しかったね。また遊ぼうね。」って、
お手紙だしたし。
あの時、本当に元気だったし。
その後、知り合いのお母さんの勤める病院に、その子は救急搬送されていて、自死のような状態だったらしいという話を風の噂で聞いたような気がした。
「今、仲良くなったその子は、数年後には、この世を去ってしまいます。」
そんな未来予測を知っていたならば、私は、今その瞬間にその子と縁を深めることを拒否しただろうか❔
もしタイムマシンがあったとしても、起きてしまった過去を変えることは出来ない。
でも、もしタイムマシンがあるならば、この決して避けられない運命ともう一度向き合いたいと感じてしまうかもしれない。
だから無関心よりも、喧嘩する方が平和。
「無関心」からは何も生まれない。
「あなたって、そんなに嫌なところがあったの❔」
例え傷つくことがあっても、
それは絶望ではない。
「私は、傷つきたくないから、あなたのことには関心もてない。」
こそが絶望だと私は感じるから。
私は、彼女のいない人生をもう随分と生きている。
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